八ヶ岳 赤岳 地蔵尾根 厳冬期登山

山行日
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山域、ルート
八ヶ岳 赤岳 地蔵尾根
活動内容
厳冬期登山
メンバー
T内、T(記)

八ヶ岳 赤岳 地蔵尾根 厳冬期登山の山行記録

当初、阿弥陀南陵へ行く予定だったが、現地の舟山十字路についてみるとT内さんがアイゼンを家に置き忘れてきたことが判明し計画が根底から崩れる。安平路山に続きまたもや!?午前3時から、眠い目を擦りながら計画変更案を練るが良い知恵も思い浮かばないので寝ることにする。

翌朝、アイゼンなしで北八つでもと思ったが、意外と近くにモンベル諏訪店があることがわかり、とりあえずそこでアイゼンを手に入れるということに決定する。

車で往復1時間半かけて買いに行き、今日明日で美濃戸口から行者小屋、地蔵尾根か文三郎尾根を登下降することにする。ここまで来て地蔵尾根とは情けない。

土曜日までは快晴だったらしいが、本日日曜は曇天雪交じりのあいにくの天気だ。

南沢の登山道も朝から降りてくる人で一杯だ。約3時間で行者小屋着。誰もいないので小屋横の風雪をしのげる場所でテントを張らせて頂く。張っている間に手の指が凍ってきた。

すごい寒さだ。慌てて息を吹きかけて温めて、何とか鈍痛とともに血行の回復を確認する。昔凍傷になった指はすぐにまた凍傷になろうとするので細かな注意が必要だ。

テントを張り終え、酒を飲み、温まったところで今夜の夕食のシチュー作りに取り掛かる。

T内さんがペミカンを作ってきてくれたので手間が省けて助かる。夜6時就寝。一晩中小屋辺りでも風雪が強い。阿弥陀の稜線で張っていたならどうなっていただろうかなどと考える。

翌朝5時起床。天候回復を期待したが、まだ曇天だ。私はもう帰る気満々だったがT内さんがどうしても行きたいというので、大凡の引き返す時刻を決めてから地蔵尾根に取り付く。尾根自体は梯子や鎖が整備されているので流石は一般コースだが、そういった補助設備がなかったら、ここもロープ持参の初級バリエーションかもしれない。

それにしても気温は低く、すぐに手足の指先の感覚が無くなる。一月後半から2月にかけての厳冬期の八つには完璧な防寒具が必須であることを再認識させられる。(またもや手袋はやや薄めのウールをもってきてしまう)一般路でこれ程寒いからにはバリエーションなら指のことなど構ってられない場面も多いのであっという間に凍傷になりそうだ。

何も見えない白い世界の中を鎖を頼りに登っていくと、約2時間ほどで稜線のお地蔵さまに出会えた。風の弱まる東側の岩陰に退避して登頂を喜ぶ。しかしじっとしていると1時間で死ねるような寒さなので早々に地蔵尾根を下山にかかる。T内さんは1年前の阿弥陀北陵の頃と比べると遥かに歩行は上達したのでそう心配せずにサクサク降りられる。
八ヶ岳 赤岳 地蔵尾根 厳冬期登山 DSCF1967八ヶ岳 赤岳 地蔵尾根 厳冬期登山 DSCF1969八ヶ岳 赤岳 地蔵尾根 厳冬期登山 DSCF1966八ヶ岳 赤岳 地蔵尾根 厳冬期登山 DSCF1965
しかしまだ何といっても経験が浅いので冬山の常識が吹っ飛んだ場面もあり、油断はできない。安心できる樹林帯まで下りた頃にようやく西の空が晴れてきて青空も見えてきた。帰る頃になってようやく低気圧通過か・・思わず「ナメトンカー!」と空に向かって怒鳴る。しかし山の神が怖くなって「アリガトーゴザイマース!」と叫ぶ。

しかしその後の階段の手すりをもって下りていた途中で手すりが無くなっていることに気づかず、空中で手すりをまさぐりながら暫くよろめく。体操選手が着地でバランスを崩し必死でバランスを取っているような状態だった。あそこでこけていたら氷の階段を転がって落ちていたはずなので改めて山の神様の存在を確認する。ナンマイダーナンマイダー。

行者小屋に戻るとまた誰もいないので下山祝いに善哉を作って食べる。12時発。

14時美濃戸山荘。もみの湯に寄って、5時間半の単独運転に辟易しながら帰神20時半。

NOTES:(備忘録)

  • 耳にタコが出来そうだが、冬山(夏山でも)には電子着火ライターは持参するべからず。何故かは一度濡らしてみれば分かる。
  • 冬の稜線でのテント設営と撤収は一大作業スライダー(自在)の使い方や張り綱結束の方法、風に飛ばされずに張る(畳む)練習等は下界でマスターしてから本番に臨まなければならない。すぐに飛んでいきます。
  • 厳冬期の八つが岳には最高性能の防寒装備が必要。気合や慣れでは太刀打ちできない。
  • 当初計画通り南鐐へ行っていたらどうなっていたかは推測の範囲でしか分からないが、日曜日から新雪が積もりだしているのでP3のルンゼ内はかなり不安定な雪の状態になっていたと思われる。現地で撤退の判断をしていたかもしれない。吹雪のルンゼは怖い。
  • 今年こそスリーフィンガーの手袋を用意しよう!