白馬岳主稜 残雪期アルパインクライミング
- 山行日
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- 山域、ルート
- 白馬岳主稜
- 活動内容
- 残雪期アルパインクライミング
- メンバー
- I瀬 M田 T(記)
白馬岳主稜 残雪期アルパインクライミング 山行記録
当初3連休を取って前穂高北尾根へ行く予定だったが、諸般の事情により2連休しか取れず、2日で行けるルートとして白馬主稜へ変更することにする。
28日(土)22時、何とか配送業務を3時間の残業で終わらせ、慌てて支度をして白馬へと出発する。一週間の残業続きで早や下山後のような体のだるさだが行くしかない。
翌4時、白馬駅前のコンビニでビバーク中のM田君と合流して更に30分ほど仮眠後、猿倉山荘を出発する。天気は予報通り快晴で、出だしから暑い。1時間ほどで白馬尻到着。8峰を目指して右の尾根に上がる。雪崩が起きやすい地形らしく確かに嫌らしいが、既にあらかた落ちたようで雪は固くよく締まっている。冬季は少なくとも斜面の中心部を登高することは避けたい。前後のパーティと抜きつ抜かれつしながらピークを越えていき、次第に痩せ尾根となる。黙々と歩くうちに5峰辺りに来たようだ。
暖気で雪が切れている箇所が多く、その通過に労力を費やす。雪が付いてないと単なるグサグサの脆いブッシュで残雪期のみの登高ルートであることも頷ける。
さて12時を過ぎると気温も一段と上がり、首筋や顔面が日焼けで痛くなってくる。
サングラスを取ると30秒も目が明けていられない。クリップオン式の中途半端なサングラスを持参したがそれではやや役不足だった。横から光が入ってきて目が痛い。
やがて4峰あたりからポツポツとテン場跡が現れ、我々を誘惑する。何個か目に現れたやや広めのサイトに心を奪われ、整地してテントを張ることにする。快晴無風気温は20度はあろうかといった感じでザックのチョコレートも溶けてしまった。最後の雪壁を望みながら、早速冷えたビールを開ける。58年生きてきて一番旨いくらいの味だった。この暑さではM田君が担ぎ上げた香住鶴はややヘビー過ぎた。I瀬君は担ぎ上げ棄権。
春山はやはりビールだ。(重たいが)
さて、日没とともに寒くなったのでテントに避難し鍋にかかる。まあまあの味だった。デザートの梅酒入りゼリエースが甚く好評だったので来年も作ろう。久しぶりの食当にも気合が入る。稜線で過ごすこの時間が私は大好きだ。明日の好天を確信し、シュラフに潜り込む。その割に一晩中テントがパタパタ揺れ、雨か雪らしきものも落ちてくるので天気予報は外れたのかと悩む。しかしよく考えたら快晴無風に慣れ過ぎているだけで大した風雪ではなかった。(夜中の用足しは本当に危ないので次回は安全な和式を作ろう!)
朝430、M田君に起こされる。すわ、寝坊かとも思ったが、よく考えたら今日は最後の雪壁を登って頂上から大雪渓を下って帰るだけなので焦ることもないことを悪い頭で思い出す。疲れで頭も回らない。最後の雪壁到着730。ロープを出す予定でスノーバーやデッドマンの使用法やボディビレイについておさらいをするが、取り付いてみると朝で雪も安定しており、なによりバケツ状態なのでノーザイルで行った方が早くて安全だとみてダブルアックスで登る。傾斜は若干緊張する60度だが左手に持ったクオーク君がよく頑張ってくれた。右手のエアーテック君はいつも通り。固い雪と柔らかい雪が複雑に混じりあっているのでデッドマンかスノーバーかはよく判断しないといけない。また打ち込みにはハンマーヘッドが要るのでトップは持参必須。60mほどを登り最後の乗越をエイやーで越えれば、突然小屋の匂いが。とともに頂上の石柱が眼に。このダイレクト感が嬉しいのとやや興ざめなのと。
頂上で記念撮影などをしながら1時間ほど微睡(まどろ)み、下山開始。途中小屋で記念品などを買いに寄ったりしながら小雪渓、大雪渓を下る。大雪渓はよく事故のある所らしいがところどころに落石が落ちている。たまに別の沢筋でブロックが音を立てて崩壊しているが、雪崩を誘発するほどの雪は残っていない。GWということで登ってくる登山者も一杯だ。3時間ほどをかけて筋肉痛に耐えながら雪渓を下り、猿倉の駐車場に戻る。(1130)
NOTES:
- 快晴は期待通りだったがあまりに日差しが強くて困った。水を大量消費するのと目が痛いのと冬用の防寒装備は要らなかったが、これが毎年とは限らないので油断できない。
- ベニヤ板で自作デッドマンを準備したが出番は来なかった。(次回?)
- 白馬主稜はGWはよく混む。3~4月中頃が楽しいかもしれない。が、頂上に突き上げる雪の稜は何回来ても飽きない。7時間で速攻日帰りの単独若者もいた!帰りの雪渓はヒップそりが有効と思われる。
- 今回お疲れ気味ということでかなり装備は分担して頂いた。自分としては情けないが年寄りを労わる心も重要。(メンバーの皆さん、有難うございました)
- ちなみに渋滞を9時間ほどかかって伊丹自宅に戻ったが、次の日朝6時からまた仕事、その日はまた2時間半残業、その次の日は倒れかけた。GWにまともに山に登るのはなかなか苦労する。まだ大企業にいたころの常識が残っているが、それが普通だろう。
- 黙々と引っ張ってくれたI瀬君、100Lザックで気合を見せてくれた(最初だけ?)M田君、ご苦労様でした。そして有難うございました。また行きましょう!