後立山 欅平 唐松岳 白馬岳 縦走

山行日
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山域、ルート
後立山 欅平 唐松岳 白馬岳
活動内容
縦走
メンバー
石橋

後立山 欅平 唐松岳 白馬岳 縦走の山行記録

こんにちは。石橋です。

以前モンブランへともに登った仲間から今年も白馬においでとお誘いを受けたのが6月のこと。
昨年白馬に行って以来、後立山周辺の縦走はかなり気になっていたし、日本を出る前に誘ってくれた仲間にも会っておきたかったので急遽だが行くことにした。

富山から電車を乗り継いで黒部の玄関口・欅平へ。初日はここから一時間ほど歩いた先にある祖母谷温泉に幕営し、日付が変わるころに行動開始して唐松岳までの標高差約2000mの稜線を登る。二日目は唐松山荘で幕営して、三日目に目的地の村営頂上宿舎を経て、四日目に大雪渓から下山するというのが当初の計画であった。

3泊4日の山行で特に二日目は標高差2000mを11時間かけて上がるのだから当然荷物の軽量化は必須の課題である。事前に調べた情報では祖母谷から唐松までの登りはそのほとんどが下りに使用されるルートで、八方尾根から登ってきた登山者が唐松山荘に一泊するか、もしくはトレイルランナーが日帰りで八方から欅平まで抜けるときに使われる下山道としての記録が多かった。小屋の情報などで一応登山道としての表記はあるものの、所要時間は11時間から13時間となっていた。普段の僕の山行スタイルはウルトラヘビー山行。持てるものは持つ、必要なものは担ぐ、というまさに30年は遅れようスタイルである。しかし今回ばかりは苦手な軽量化をして、ウルトラライト山行たるものやってみるべきなのではないかと装備や食料を厳選してゆく。いつもは適当に詰め込む行動食も一日ごとに分けてパッキングする徹底ぶりである。しかしあれもいる、これもいる、などという言っているうちに当日に水も詰め込むと体感30kg近い重量になってしまった。これでは普段の歩荷と変わらないではないか。ウルトラライトなどまだまだその背中すら見えてこない。

厳選したものを詰め込んだ85Lザックを背負って阪急梅田のバスターミナルから夜行バスに乗り込み、富山へと向かう。富山からは早々にとやま鉄道に乗り込み、魚津で富山地鉄に乗り換えて宇奈月温泉に降り立つ。ここからはかの有名な黒部峡谷鉄道に乗って黒部の玄関口である欅平を目指す。観光客に混じって規格外の荷物を引きずりながら小さなトロッコへねじ込み(快く載せてくれた乗り合わせた方々に感謝!)、黒部の急峻な谷の中をゴトゴトと音を立てながら一時間半ほど走ると欅平に出る。
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ここには黒部第三発電所があり、上部の仙人谷ダムと合わせてその建設が非常に困難を極めたものとして知られている。またこの欅平の奥手には奥鐘山があり、奥鐘山西壁は多くの難ルートが存在する日本屈指のビッグウォールである。
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この日は連休最終日ともあって駅の周辺は多くの観光客がいたが、駅から離れるにつれて人もまばらとなり、祖母谷温泉では20人ほどに出会ったがそれも昼を過ぎるころには皆、欅平の方へと帰っていった。

祖母谷温泉は温泉小屋から上流側に200mほどいった河原からボコボコと湧き出す100℃近い硫黄泉をそのまま引っ張て来た源泉かけ流しの温泉小屋である。河原から真夏でもモクモクと吹き出す湯気を見ていると、この地に電力開発のために隧道を掘ることがいかに大変かが理解できる。そんな熱い湯に太陽が照り付ける中入れるはずもなく、日が暮れるまで読書しながら待つ。日が暮れ始めていざ入ってみると最高に気持ちがよい。男湯はテント場から丸見えではあるが、別に気にすることでもない。気が付いたら一時間も湯に浸かっていた。体もポカポカになったところで明日に備えて早々にテントに戻った。
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11時半に寒さで目が覚める。標高1000mを下回っていたため気を抜いて何も被らずに寝ていたら意外と冷え込んでいた。こう見えて超ビビりな僕。夜中に単独で唐松へ登る計画を自分で立てたくせに、この時、めちゃくちゃビビってた。以前黒部の山賊という本を読んで以来、山の怪談や地域に伝わる伝説なんかを調べていたから、それを思い出して余計にビビり散らす。一瞬登山道が不明瞭なんて理由をつけて帰ってやろうかとも考えた。恐怖と凍えで体の震えが止まらないのでとりあえずもう一度温泉に入ることにする。満天の星空の下で温泉に浸かって体を温めると、だんだん恐怖も和らいでいけるような気がしてきた。気を改めて準備にかかる。

7月26日 天候 晴れ時々曇り
1時半、祖母谷温泉を出発して祖父谷方向へと歩み始める。一応怖いのでスマホでお気に入りの曲をかけながらどんどん進む。しばらく沢沿いを歩いて、次第に斜面へと上がってゆく。標高が低いので背丈ほどのブッシュが続くが、登山道の草は一部を除いて綺麗に刈られていた。あとから猿倉の遭対協の方に聞いた話だが、ちょうどこの前の日に草刈りが完了したばかりだったのだという。本当に登山道を整備してくれる方には頭が下がる思いである。この瞬間、恐怖で逃げ帰ったときの言い訳も消えてしまったのも確かだが…。

1420mのコルを経て唐松岳から餓鬼山、奥鐘山まで続く稜線の上に出る。それまでは谷の中の真っ暗な森の中だったが、稜線へ出ると木々の間からわずかに月の光が差し込むと幻想的な世界が広がる。そこからさらに30分ほど進むと餓鬼ノ田圃に出る。餓鬼ノ田圃は餓鬼山の中腹に位置する湿地帯で貴重な動植物が数多く残されたいわば最後の楽園である。真っ暗なので全容はわからなかったが確かに登山道の脇に湿地帯が見られた。さらに30分で餓鬼山避難小屋まで抜けてそこから1時間で餓鬼山まで抜けた。このころにはあたりも次第に明るくなり、行く先には五竜岳から唐松岳、白馬岳まで続く稜線が見える。背後には剱岳が浮かび上がり、何とも幻想的だ。
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餓鬼山の登りあたりからかなり尾根も狭くなり、餓鬼山山頂から大黒鉱山跡に下りるまでの道はところどころ崩落している。樹林があるので高度感こそないが、踏み外せば無事では済まない道を進む。
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このころ想定していたコースタイムをよりかなり早く進んでいることから、今日中に天狗の小屋まで進めるのではないかと考える。というのも、翌日27日からは台風8号接近の影響もあって少々風が強くなり、雨も降り出す可能性があった。不帰ノ嶮を風雨の中、重荷を背負って抜けるのはリスクがあるので半ばあきらめていたのだが、今日中に天狗まで進めば望みはあるのではないか...。その可能性があるならスピードを上げていくしかない。大黒鉱山跡から唐松山荘までの最後の長い登りを息絶え絶えに駆け上がる。段々と樹林の背丈も低くなり、高山植物のお花畑が広がってゆく。早足で登山道を登ってゆくと、いきなり目の前にライチョウが奇声を上げながら飛び込んできた。よく見ると数羽のひよっこたちが斜面の上へと逃げてゆく。どうやら気付かぬ間にライチョウ親子に近づきすぎてしまったらしい。ごめんよ。
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山荘手前で雪渓があった。トレースはないので注意深く渡る。
テント場を横切り山荘まで上がると唐松-祖母谷間通行禁止の案内が…登山道整備が完了する8月中旬まで通行禁止なんだとか。どおりで崩落してたり雪渓にステップが切ってないわけである。まあ特段苦労するところはなかったから良いんだけどね。
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唐松山荘到着が9時。計画では昼過ぎの到着だったのでかなり早く登れた。なけなしの3Gを使って最新の天気図を確認する。進路も定まらなかった台風8号はどうやら東北に向かうということ、台風西側は上空の風も15Knot程度なので予想したほど天候も荒れないことを確認して、不帰方面へと向かう。唐松岳を越えて、不帰のキレットへと入ってゆく。流れるガスの中に浮かぶ岩峰、壁にくっつくように咲くイワギキョウが美しい。独り寂しく夜道を歩いてきたからか、すれ違う人がいつも以上に温かく感じる。単独で山に入って気が付いたのは、いつもよりも出会った人ひとりひとりのことを鮮明に覚えているということだ。出会いをいつもよりちょっぴり大事にするのが単独行の良いとこなのだ。
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不帰の岩場はものの一時間半ほどで通過し、そこからは地味なアップダウンを繰り返す。10時間重荷を背負って登ってきた脚にこれが応える。標高差400mの急坂・天狗の大下りは唐松側から向かうと天狗の大登りになる。これまでコースタイムを大きく巻くスピードで登ってきたが、さすがにこのころになるとコースタイムを維持するのが精一杯だった。
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14時、天狗の小屋に到着。出発以来初めて座ってちゃんとしたものを食べた。天狗山荘にテント泊の予定は入れていなかったが、快く泊めてくださった。疲労から一眠りして起きると、白馬鑓が夕日に照らされ真っ赤に燃えていた。稜線まで上がるとちょうど雲海の向こうに夕日が見えて、とても美しかった。
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7月27日  天候 曇りのち雨 
朝4時半起床。昨夜明日は朝から小雨が降っているだろうと予測していたが、テントから顔を出すと雨はまだ降っていないようだった。ただ長野方面に積雲が群れを成している。崩れるのも時間の問題だろうと出発を早める。簡単な朝食を済ませ、テントをそそくさと撤収して、5時15分に天狗山荘をあとにする。飯食って寝れば疲れ知らずなのが若者の特権だ。空模様を伺いながら小走りで頂上宿舎へと向かう。白馬鑓を越えたあたりで白馬岳まで見通せた。白馬岳を飲み込む白雲が次第に大きくなってゆく。

途中、天狗山荘のテント場で一緒になった女性2人のパーティーを追い越す。五竜岳から来て、今日は栂池まで行くという。あの雲の中に突っ込んでゆくとは…何とも勇猛果敢なお二人である。一方僕は二時間かからないぐらいで目的地の頂上宿舎に転がり込む。この時間なら大雪渓から下りれるかなとも思ったが、雲の様子を見ても雨が続きそうなので無理して下りることもないだろう。それにせっかく来たのだから一日ゆっくりしていきたい。雨も降っていたので親切にも宿舎の売店で休ませていただけた。誘ってくれた知り合いは小屋の仕事もあるだろうから、待ちながら荷物をまとめ、手記に記録を残し、本を読む。そうしている間にも売店にフラフラ下りてきた知り合いに「なんでいるの!?」と驚かれてしまった。そりゃそうだ、こんな天気だもの。事前に山に入る前に悪天候で行けないかもしれないとは伝えていたので、来ないもんだと思っていたらしい。意外と早く天狗まで抜けれたこと、空模様伺いながらここまでササっと来た事を説明。驚きながらもコーヒーとチーズケーキをご馳走してくれた。今まで食べたどのケーキよりも美味しかった。

昼過ぎに雨が少し上がったタイミングでテントを設営。夕食と一緒に小屋で買った大雪渓で一人祝杯を挙げる。ここまで来れて本当に良かった。支えてくれた人と見守ってくれた山に感謝して就寝。

深夜一度目が覚める。風の音も雨の音もないのでテントから顔を出すと、綺麗に月と無数に瞬く星が夜空を飾っていた。靴を履いて稜線まで上がるとはるか遠くに雷光が見える。恐ろしいが、とても神秘的だった。

7月28日 天候 曇り時々晴れ
4時半起床。ゆっくり支度を始める。この日は台風が東北地方を横断することで風が変わり、白馬周辺では北西風~西風~南西風へと変化する。午後から南西風へと変わると太平洋上の暖かく湿った空気が流れ込むため天気が崩れるため、風が西から吹いている朝のうちに下山しようと考えていた。テントから出るとガスってはいるものの降水はなし、風もほとんどない。たまに雲の切れ間から青い空が顔を覗かせる。テント場のゴミを拾っていると小屋の知り合いが様子を見に来てくれた。宿泊客は少ないがそのあと5時半から仕事なのだという。苦労は多いようだが話を聞いていると本当に小屋での仕事が心の底から好きなのだろうなということが伝わってくる。そんな仕事を持てていることがちょっぴり羨ましい。

6時下山開始。雲の切れ間から朝日が差し込むと、雨上がりのお花畑がキラキラと輝く。雪山とは違い、山全体に命の息吹を感じれる夏山らしい光景に心打たれる。
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大雪渓は今年落石事故が多発してるということで少々急ぎ目に下る。途中すれ違う方に先の登山道の状況などを伝えながら順調に下り、8時には猿倉へと下山した。八方の湯で汗を流し、大糸線で松本へ。松本でバスの待ち時間に入った居酒屋で仲良くなったおじさんと旅の話で盛り上がり、ほろ酔い気分で大阪行きのバスへ乗り込み、楽しかった山行が終了した。

事前に調べると今回行った祖母谷~唐松岳の情報がほとんどなかったので(通行止めなのだから当たり前なのだが)、少し記載する。

例年7月中旬ごろから草刈りが入り、特に祖母谷温泉から餓鬼山までは比較的歩きやすくなる。それ以前はかなりの藪漕ぎになると推測される。祖母谷~白馬間の登山道も同様にこの時期に草刈りが入るそうだ。

祖母谷から沢沿いに上がるルートで数か所、また餓鬼山から大黒鉱山跡へと下るルートの数か所で登山道の崩落があった。通行できないほどではないが、足を滑らせると特に後者の箇所ではかなり深刻な事故に発展する場合があるため注意が必要。

大黒鉱山跡の水場は登山道から往復15分の場所にある。今回は使用していないが沢の音が聞こえたので水は十分に確保できるものと思われる。

唐松山荘下の雪渓は登山道に沿ってトラバース。スコップが置いてあったので8月に入ると小屋の人の手でステップが作られるのかもしれない(行けばステップがあるという保証はない)。

今回の山行では少々不思議な体験もした。

前述の餓鬼ノ田圃から餓鬼山へと向かっているときに熊対策でつけていた鈴が2回に分けて10秒ほど激しく鳴った。風のせいかとも考えたが、樹林帯の中で風は肌で感じるほども吹いていなかったのでいまだに何が鈴を揺らしたのかはわからない。

頂上宿舎のテント場では足音のような音が聞こえたりもした。台風前でテントを張っていたのは僕一人だったが、風でテントがはためく音や雨の音とは全く違う音だった。以前まで登山道具店で靴のフィッティングを仕事にしていたので色々なタイプの登山靴が歩くときに出す音を知っているが、この時聞こえたのは重たいフルレザーの登山靴で固い地面をゴトゴトと歩く音と、軽めの登山靴で砂利の上を歩くときの音。夜の10時頃だったので後者は小屋の人が見回りに来てくれたのかもしれないが(翌朝小屋の知り合いに聞くとそんな時間に見回りにはいかないそうだ。見回りって言ってくれた方が気が楽だったのだが...)、前者は余程こだわりのあるような人でなければ今の時代では履かないような靴である。雨風がそこまで強くない夜だったのであそこまではっきり聞いてしまうと聞き間違いということもないとは思うのだが、実際はよくわからない。

山の怪談やら伝説を調べまくってビビってたから、事態を過大評価している可能性もなきにしもあらずだが…靴の音は仮に聞き間違えても、鈴は聞き間違えることはない。それに2回も。

街だと馬鹿らしい、で済ませれるのが山だとなぜかそうは思えない。下山後、白馬の交番の横にあった遭難慰霊碑を偶然見つけて思わず手を合わせた。

そんな楽しくも不思議だった単独山行。次はどこへ行こうかな、と考えるとわくわくが止まらない。