アコンカグア 遠征登山

山行日
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山域、ルート
アコンカグア
活動内容
遠征登山
メンバー
石橋、野間(記)

大学時代、ワンダーフォーゲル部に入りたての頃にある先輩が「アコンカグアっていうカッコいい山に行く計画があるんだけど参加しない?」と同期の男の子を誘っていた。当時の私は登山にあまり興味が無く、調べることさえしなかったが、結局その後計画は無くなり先輩は卒業した。それから社会人になって登山を続けていた私は、これまで通りの登山になにか物足りなさ感じて山岳会に入った。会では、それまで経験したことのなかった、クライミングやバリエーションルート、バックカントリースキーなど、とても貴重な経験させてもらったものの、やはり自分が好きなのは歩くことだと気づいた。そしてその歩く登山で、一度大満足して、しばらく登山はいいかなと思えるような山に登りたいという気持ちが芽生えた。そんな時頭の片隅にあったアコンカグアに興味を持った。そして以前に同じくこの山に興味があると言っていた石橋さんに連絡を取ると、是非一緒に行こうと言ってもらえた。ここから計画がスタートした。

準備

アコンカグアはアルゼンチンのアンデス山脈に属する標高6960.8mの山で、南米大陸最高峰として知られる。今回私たちが選んだのはノーマルルートと呼ばれる北西面のルートで、登攀や氷河の歩行が無く、高所順応と天候待ちの日程があれば比較的登頂しやすい。事前に調べた情報は、数社の登山エージェントがBC手前のキャンプ“Cofluencia”、BC“Plaza de muras”に大型テントを設置して、宿泊・食事・シャワーなどの様々なサービスを提供していること。またレンジャーや警察、ドクターによる山中での見守り体制があり、遭難や体調不良への対応が手厚いことだった。このような環境から、ガイドなしで登る日本人登山者も多く、今回私たちもそうすることにした。とはいえ20日間分の食料やテント、高所靴などを含めた1人40kgほどの装備を担ぎあげるのは体力的に難しいと判断し、BCまでの荷上げはエージェントに頼むことにした。

具体的な準備

エージェント予約

検索して一番初めに出てきたINKA社のプランをネット予約した。費用も二人で3万円と平均的で対応が良かった。プラン内容はBCまで一人30kgの荷揚げ、ConfluenciaとBCでのトイレ利用と水の補給、登山口近くの宿から登山口までの送迎、登山許可取得手続きの代行であった。

ワクチン接種

破傷風や腸チフスなど、アルゼンチン渡航で推奨されるワクチンを打った。

行程計画&ルート調べ

過去の山行記録やアドベンチャーガイズさんの計画書を参考にした。登山許可は20日間有効で限界まで日程を取ることが登頂率アップに繋がる。今回は石橋さんはアメリカ留学の冬休み期間であることや私の有給期間を考えて、山中最大18日間を確保した。またルートは写真などを見る限り富士山によく似た砂と岩の道が延々と続くことがわかった。危険箇所は頂上直下の登りだけのようで、それも富士山頂上直下とよく似ているのではないかなと思った。道の状況よりもやはり高度順応と風、雪に気を使うべきだと考えていた。

行程表
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緊急連絡体制調べ

緊急時、アコンカグアではレンジャーや警察、ガイド、エージェントスタッフが使う公園全体の無線周波数に救助連絡をする必要がある。ただし無線の免許を取るのはハードルが高すぎたので断念。基本的に天候が悪ければ動かないつもりだったので、周りで一緒に登る人がいる前提で、登山ガイドや見回りをしているレンジャーに助けを求める形を取ることにした。※下山後に教えてもらったことだが、無線は免許のある人から借りて使用する分には問題がなく、エージェントで貸し出しをしているとのことだった。

日本への連絡手段

山中は現地の携帯基地局の電波が入らないことから、日本で衛星電話をレンタルした。電話とメールができる機能付きのもの。しかし、今回gmailのメーリングリストを使って進捗連絡をしたのだが、ほとんどメールが届いていなかったことが下山後に判明した。電話番号宛のSMSは届いていたようなので、送り先には十分気をつけるべきだと思った。

飛行機、バス、ホテルの予約

海外旅行保険

入山許可の条件の一つに、ヘリなどの救助にかかる救援費用を補償する保険への加入があった。INKAがおすすめしてくれた保険もあったが、なんとなく怖かったので海外登山保険専門の代理店経由で三井住友海上火災保険の6000mを超える登山の保険に入った。しかし費用はINKAおすすめ保険の5倍だったことや、現地で保険内容を確認された時などに手間取る可能性も高いので、こういう時は現地の保険に入っておくべきだったと結果的には思った。

装備の検討

日本の冬山の装備にプラスして必要なものは何か考えた。過去の記録を見ていると、やはり-20℃を超える気温と爆風に耐える防寒対策がポイントのようだった。色々と悩んだが、防寒系の装備は新しく購入した。

装備リスト
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トレーニング

山では歩荷、下界では低酸素トレーニングに通った。富士山は3回登った。
ある程度重い荷物を運ぶ体力をつけることと、体を低酸素に慣らすことを中心に考えていた。
しかし、結果的に現地では一回の呼吸で進める歩数が少なくて困ったので、一番必要だったのはランニングなどの心肺機能を鍛える運動だったのではないかと結果的には思った。

費用

  • 入山料10万円
  • エージェント料3万円
  • 飛行機34万円
  • 現地バス・タクシー1万円
  • 現地食費3万円
  • ワクチン接種5万円
  • 装備代50万
    • 衛星電話レンタル3万円
    • パルスオキシメーターレンタル1万円
    • 中古高所靴(スポルティバG2)6万円
    • ダウン上下(ノースフェイス ヒマラヤンパーカー)17万円
    • シュラフ(シートゥーサミット アルパインApIII)10万円
    • その他ダウンミトン、エアマット、ソーラーパネル、食料等10万円

アコンカグア 遠征登山の山行記録

12月15日 関空出発

岩瀬たさんとワンゲルの友達が見送りに来てくれた。

12月16日 ドバイで乗り継ぎ ブエノスアイレス着

途中ブラジルのリオに着陸した際に間違えて降りた。乗務員に声をかけられて事なきを得た。

12月17日 ブエノスアイレスで国内線へ乗り継ぎ Mendoza着

ホテルで休養。日本との時差12時間だが、飛行機内で延々と寝かしつけられたため、時差ボケはなかった。Mendozaは登山口から200km離れたアコンカグア登山の拠点となる街。南米ということで治安が悪いと想像していたが、明るく、街路樹の美しい街だった。
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12月18日 石橋さんと合流 INKA事務所で入山手続き

事前に調べた情報では、INKAで入山許可申請書類を受け取った後、観光局に出向いて許可書を発行してもらう必要があったが、現在は全てINKAで完結してもらえるようになっていた。本来当日中に発行してもらえるはずだったが、なんとこの日はお昼からサッカーW杯ブラジル対アルゼンチンの決勝の日だったため、翌日になった。
試合開始前から街の盛り上がりは凄まじく、熱気にあふれていた。そして36年ぶりの優勝が決まると、各所から大歓声、爆竹や花火、ブブゼラが鳴り響き、夜中まで鳴り止まなかった。
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12月19日 買い出し&INKA事務所で入山許可証を受け取る

日本から持ってきた食料にプラスして、パスタなどを買い足した。ベットに広げると大量すぎる食材。買い過ぎたかもしれない。
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12月20日 Mendozaから麓までバスで移動

窓の外には、広大なブドウ畑が広がっていた。Mendozaはワインの町として有名だ。しばらくして山が近づくと緑が無くなり、砂の山肌と谷沿いの鉄道跡が延々と続いた。チリまでの国境越えの道路の途中、登山口から10km手前のLos puquiousで降りる。INKAの拠点があり、ここで荷物を預ける。スタッフとワンちゃんが迎えてくれて受付をした。BCに送る荷物をサブバック80Lに全て入れられるか不安だったが、ガスと食糧は専用のかごをくれたので余裕で収まった。その後スタッフに“Puente del inka” という場所にある宿nikoまで車で5分ほどの距離を送ってもらった。また降りる時に翌日の朝8時に迎えに来てもらう約束をする。nikoは予約窓口がメールしかなく、スペイン語でのやり取りだったが、ちゃんと予約できていたので安心した。宿はアコンカグア登山や周辺のトレッキング客でにぎわっており、多国籍空間だった。ご主人とスタッフは言葉は通じないがとても笑顔の素敵な方達だった。

バスの詳細

  • ANDESMAR社のLas Cuevas行きのバス
  • 日本からネット予約可能で費用は1人1500円
  • INKAの荷物預け場所があるLos Puquiosは予約時には出てこないバス停。Puente del inka下車で予約し、乗る時に運転手に伝える
  • Mendozaのバス停は行先の看板も時刻表もない場所だったため、下見要

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12月21日Horcones登山口[2850m]~Confluencia[3400m]

宿にINKAスタッフの迎えが来て、まずは公園の事務所まで送ってもらう。そこで登山許可書のチェックを受けた後、再び車に乗って登山口に送ってもらった。到着後、準備をして出発。天気は快晴で、向かう方向にはアコンカグアの姿が見えた。後から話してわかったのだが、私はそれを見てなんだか登頂できるんじゃないかという気がしていて、石橋さんは反対にあんなところ登れるのかと不安になっていたそう。南半球は初夏の季節で、登山口付近には沢山のお花が咲き乱れていた。3時間ほど歩きやすい道を行くとConfluenciaに到着した。レンジャー小屋で許可書のチェックを受ける。若くてきれいな女性レンジャー3人が常駐しており、BCに行く前日にはドクターチェックを受けるようにと指示された。その後はINKAの拠点で受付。このキャンプはトイレも水洗で、標高も低いので比較的暖かく快適だった。また、共用のソファと机があり、そこで延々とティータイムを過ごした。高山病予防のため、かなり頑張って4Lは補給したと思う。その間に日本人のKさんと知り合い、おしゃべりした。アメリカ在住で今回はツアーに参加しているのだそう。石橋さんとアメリカの山の話で盛り上がっていた。
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12月22日Confluencia[3400m]~Plaza francia[4200m]往復

南壁ルートのBC“Plaza francia”へ高度順応を兼ねたトレッキングへ向かう。谷底をひたすら歩く道のりで、日が当たるまではかなり寒く、また空気が乾燥していて喉が痛かった。高度を上げるにつれ、小さな草などの植物も無くなり、見える世界全てが砂色で、月に降り立った気分になった。やっとたどり着いた南壁は頂上から切り立ったとてつもなく大きな壁で、迫力に圧倒された。石橋さんはクライマーでもあるので、登るルートを探していた。順応に関しては、腹式呼吸を意識して歩いていたものの、テントに帰るころには高度障害で頭痛と倦怠感が出てしまった。一方石橋さんは全く平気そうで、水もあまり意識して飲んでいないとのことだった。苦しくても水を飲むことしか対策が無かったので、共用ソファでまたティータイムをして休んでいると、突然ハーモニカを演奏してくれるおじさんが現れて楽しませてくれた。少し気が紛れて楽になった。
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12月23日Confluencia[3400m]で停滞

朝起きると37.8度の熱が出ていた。酸素飽和濃度SPO2も75%と低く、風邪の症状も出ていた。石橋さんと下山すべきか話し合った結果、高所で体調回復は見込めないだろうということで私だけ下山することにした。そのことをINKAのスタッフやレンジャーに伝えると、5人ほどの女性スタッフが血圧を測ったりやドクターへの連絡をしたり、温かいお茶やお菓子の提供をしてくれたり、とても親身に接してくれた。皆仲が良さそうで過酷な環境の中で助け合って働く姿はとても格好よく見えた。そしてアルゼンチンの方の多くに当てはまることだが、皆笑顔がとても素敵だった。レンジャーからヘリで降りるか、自力で降りたいかということを聞かれたので、自力で降りたいと伝えたところ、それならドクターの診察を受けてと言われた。しかしいざドクターが到着してから診察を受けると、何故か熱が下がっており、SPO2も80%になっていた。ドクター曰く、「今降りるのはもったいない。」とのことで、高山病緩和の注射を打ってくれた。夕方にもう一度診察を受けると、「You are Perfect.」と言われ、BCに上がる許可が出た。色々な人に迷惑をかけて、目まぐるしい一日だった。でもせっかくチャンスをもらったので、行けるところまで行ってみようと思った。
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12月24日Confluencia[3400m]~BC:Plaza de mulas[4300m]

朝起きると熱はなく、高山病も良くなっていたのでBCへ向かうことにした。出発は2:30。標高差900m、歩行距離22kmの道のりだったため余裕を見て早めに出発した。初めに川を越えて以降はひたすら景色の変わらない開けた谷底道を歩くのだが、単調でとても長く感じた。また実際にもそこを抜けるのに6時間ほどかかった。8:00にPiedre Ibanezという距離的には3分の2ほどを超えた地点に着いた。このころからBCに向かう荷運びのムーラ(ロバと馬の交雑)に追い越されることが多くなった。ムーラ使いのお兄さんは、「あと少しだから頑張れ」と言ってくれたが、実際はそこからがとてつもなく長かった。途中でBCが見えた時には感動したが、そのころには砂埃で喉が腫れて息がし辛く、風邪の寒気と体の重さでやられていた。引き返すこともできず、最後の登りでは泣いてしまったほどで、人生で一番辛い登りだった。石橋さんも山を初めて一番きつかったと言っていて、おそらく私の荷物を含めて30kg以上担いでいたと思う。14:00ごろにやっとBCに着くと石橋さんとレンジャーが待っていてくれた。熱を測るとまた38度ほど出ていた。ドクターは、喉が腫れるのはよくあることだから様子を見ようと言って薬をくれた。私は完全にダウンして、BCまで預けた荷物の引き取りなど色々なことを石橋さんがやってくれた。疲れているのはお互い様なのに迷惑ばかりかけてしまい本当に申し訳なかった。
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12月25日 停滞

高度順応のための停滞日。起きると熱は下がっており、喉の痛みもましになっていた。暇だったので私はPuente del inkaで買った笛をひたすら吹いていた。石橋さんは絵を書いたり本を読んだりした。今回BCまではそれぞれのテントで過ごし、以降のキャンプは同じテントを使う計画だったので、一人の時間を満喫した。BCのトイレはConfluenciaのように水洗ではなかったが、綺麗でにおいも気にならず、ストレスなく使えた。またここでは水だけでなくお湯ももらうことができたので、お茶作りも楽にできた。翌日は上のキャンプに荷揚げに行く予定だったので、許可をもらいにドクターのところに行くと、二人とも特に問題なくパスできた。

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12月26日 BC:Plaza de mulas[4300m]~Nido de condores[5500m] 往復

高度順応を兼ねて次のキャンプであるNido de condores に荷揚げに行った。ルート上には雪が積もっていた。午後から天気が崩れる予報だったため朝一番に出発。しかし2時間ほどたったところで次々と後続に抜かされた。みな外国人だったが、高所など気にしていないようで、普通の山と同じペースで登っていて驚いた。その後も遅いなりに順調に高度を上げたものの、5400mを超えたころに二人とも進みがぐっと遅くなった。やはりその時の順応度合いや、健康状態、元々の強さなどで限界の高度というのがあるのだろう。最後は疲れ果ててキャンプ手前の大岩の岩陰にガスや食料などの荷物をデポした。1時間ほど順応時間を作る予定だったが、雪が段々強くなってきたので早めに下山した。行きは6時間かかった道のりだったが、帰りは富士山の砂走のような直滑降ルートができており、1時間半で降りた。BCに着いてから少し休憩してドクターのところに行った。するとSPO2の値が石橋さんは70%、私も80%程度だった。ドクターからは二人とも明日は休みなさいと言われた。予定では27日にNido de condoresまで行って泊まろうと考えていたが、それができなくなった。また、28日も天気が悪い予報だったので、2日間BCで停滞することにした。
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12月27日、28日 BC:Plaza de mulas[4300m]で停滞

BCはそこまで天候が荒れることもなく快適に過ごした。ギネスに載っている世界一標高の高い画廊に行ったり、ダウンロードしていたラジオを聴いたりして過ごした。石橋さんは色んな絵を書いて楽しそうで、見せてもらうとすごく上手で美しかった。毎日INKAのテントに張り出される天気予報を見に行くと、29日、30日、31日は比較的風が弱く、雪も降るが大雪ではなかったため、29日にNido de condres、30日にPlaza Corela 、31日にアタック日の予定とした。時間が有り余っていたので、ゆっくりとアタック用の装備を準備して過ごした。ドクターチェックも無事通過した。
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12月29日 BC:Plaza de mulas[4300m]~Nido de condores[5500m]

アタック装備を含めて20kgほどの荷物を持って出発。登山道には相変わらず雪が積もっていたが、踏み固められておりラッセルは必要なかった。前回同様ゆっくり歩きを進めるも、また5400mでペースダウンした。あまりにも遅かったので、石橋さんには先に行ってテントを張ってもらうことにした。最後尾に抜かされて、泣きそうになっていると、下山してきたレンジャーが私の前で止まって、「You are strong woman!!」と言ってくれた。辛くなったらその言葉を自分に言い聞かせて、何とかキャンプ地にたどり着いた。荷揚げの時は上までいかなかったのでわからなかったが、ニドは広大なキャンプ地だった。テントがどこにあるのか全く分からず、私は迷子の子供のように泣いてしまった。かなりメンタルがやられていることが分かった。少し岩陰に隠れたところにINKAの無人テントがあり、石橋さんはその横に丁寧にテントを張ってくれていた。BCまでは山小屋のような存在のエージェントのテントがあったが、BC以降で常駐しているのはレンジャー小屋のみである。逆に言えばここから普段の冬山と同じ環境になるわけで、水を自分で作って、トイレは専用の袋にしなければならない。テントの周りには雪があまりなかったので、少し歩いたところに取りに行った。ところが水作りを始めて、2リットルほど作ったところで、頭が痛いのと、体のだるさで力尽きてしまった。本当はもっと水を飲まなければいけないところだったが、あまりに辛かったので、もう夜ご飯にして寝ようということになり、私は食欲がなかったのでウィダーで終わらせた。石橋さんは元気もりもりで、またフリーズドライの日本食を私の分も食べてくれた。寝る前に体温を測ると微熱があり、私はこれ以上は進めないと言って、今後石橋さんだけアタックを進めるか、またBCに降りるかは明日の朝決めることにして、眠りについた。
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12月30日 Nido de condores[5500m]~BC:Plaza de mulas[4300m]

朝起きると私のSPO2が55になっていた。これはもう高度を下げたほうが良いということで、二人共でBCに降りることにした。BCに降りるとSPO2も80ほどに回復し、頭痛もましになった。ただ行動すると微熱が出るのは今回も変わらなかったので、アタックは石橋さん一人で行ってもらう方が良いのではないかということ思い、日本とも連絡を取って相談した。天気予報的には、1月4日のみ風が弱く天気も良かったので、それに合わせると1月1日まではBCで休養が良いということになり、そこまで様子を見ることにした。
話し合いが終わり、テントで休んでいると、日本人のカイさんという方が近くにテントを張ろうとしており、挨拶された。お話を聞くと熊本から一人で来られている方だった。日本人はツアーや、エージェントのテントを使用している方はよくお見掛けしたが、テントの方は初めてで嬉しかった。

12月31日BC:Plaza de mulas[4300m]で停滞

朝から雪が降っていた。Confluenciaのキャンプと違い、BCでは共用テーブルに屋根がなく、そこで一緒にご飯を食べたりすることができなかった。よって大晦日も一人テントで過ごすしかなく、寂しい年越しになりそうだった。しかし思いがけずこの日は良い出会いがあった。夕方ごろにお湯をもらいに外に行くと、昨日お会いしたカイさんと石橋さんがいた。3人で話していると、そこへ新たに日本人のケンさんが話しかけてきた。どうやらカイさんとケンさんはSNSで繋がっていたらしい。さらにそこで私が日本で低酸素トレーニングに通っていた時に知り合ったキタさんと再会し、その場がすごく盛り上がった。話を聞いていると、ケンさんは世界一周しているご夫婦で、30日に登頂したのだそう。キタさんは残念ながらダメだったが一緒の日にアタックしたとのことだった。ケンさんの奥さまと、一緒に登頂したというニドさんも加わり、色々な話で盛り上がった。またその時にアタック時の登山道の様子や高度順応について教えてもらうことができた。特に高度順応の話が参考になり、例えばダイアモックスは高山病が出る人は毎日飲んでいたほうが良く、登頂率にかなり影響することや、Nido de condores[5500m]の一つ手前のCamp canada[5050m]に一泊すること、また一般的にはNido de condoresの後にもう一つキャンプを挟むが、高度順応しにくい人は直接アタックすべきとのこと、睡眠をしっかり取ると高山病になるので、仮眠程度にして深夜に出発することをおすすめされた。私たちは今までの状況を考えて、アドバイス全て取り入れようとそこで決めた。また、その後は結局年が明けるまでそれぞれの持っていた食べ物を出し合ってずっとお酒なしの宴会をしていた。お餅や年越しそば、ポップコーン、ビビンバなどをみんなでちょっとずつ分け合って食べるのがとっても楽しくてお腹も心が温かいものでいっぱいになった。解散した時に空を見ると、天の川が見えていた。カイさんは写真が上手で、頼んで撮ってもらった。

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1月1日 BC:Plaza de mulas[4300m]で停滞

アタックのための準備を進めた。ドクターチェックもパスできた。体調は少し風症状が残る程度で、高山病は出なくなっていた。やっとBCには順応できたようであった。石橋さんの高山病もなくなっていた。またこの日はケンさんからのお誘いで、ある有名登山ガイドの方のテントにお邪魔する機会を得た。貴重な時間であった。
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1月2日BC:Plaza de mulas[4300m]~Camp canada[5050m]

快晴。相変わらずゆっくりのペースで3回目の同じ道を登る。今回はNido de condorsまで行かなくていいと考えたらとても気持ちが楽だった。Camp canadaは雪が少なく、風が強いときに防ぐものがないということで、このキャンプを使わないパーティが多い。私たちも何となく、一泊増えるし、ということで飛ばしていたが、私が高所に弱いことは初めの段階でわかっており、今回は偶然雪が多い状況であったため、早い段階でこの判断をするべきだったかもしれないと思った。とはいえ、行ってみるとやはり雪は少なく、あと何日か晴れが続けば完全になくなるだろうなといった感じではあった。なかなか難しいものだ。それにしても水作りをしているとあっという間に4.5時間経つのでびっくりだった。風も強くはなく、特に二人の体調不良が起こることもなく順調だった。
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1月3日Camp canada[5050m]~Nido de condores[5500m]

快晴。相変わらずゆっくりのペースだったが、今回は途中でペースダウンすることが無かった。昼過ぎにキャンプ地に着いてからは、アタック分も含めてひたすら水作りをした。翌日はアタック日で水作りができないので、帰幕後の食事を含めると20L必要だったが、時間的に余裕がなく途中で断念して夕食を作った。食欲不振を予想してパスタ等の軽い食事を持ってきていたのだがそれでは足りず、石橋さんの食べているα米が羨ましく見えた。しかしそう思えたことが非常に嬉しく、どうか明日もこの体調が続いてほしいと願った。19:30に就寝。
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1月4日 Nido de condores[5500m]~Sumit[6960.8m]

0:00に起床。睡眠時間は4時間半ほどであったが、スッキリしていた。そして今までになくお腹がすいていた。事前に見ていた記録ではアタック日の朝食は標高が高すぎて食欲が出ないはずだったが、全然そんなことは無かった。風邪の症状もほとんど治っていた。アタックの装備はなるべく軽くすることを意識して、アイゼン、ピッケル、ストック、ダウンミトン、お湯(チャイ)+水3リットルくらい、食料、救急セット、カイロだった。服装は一般的な冬山装備+ダウン上下。1:00出発。私たちの他には先行の1パーティがいた。石橋さんがBCで仲良くなった方だった。そのパーティの後ろに付いてひたすら斜面を登った。雪は薄く積もっており、踏み抜いて歩きにくいところはあったが、特に怖いところは無かった。ペースはゆっくりだったが、ここまでの標高になると他パーティも同様で、抜かされることはなかった。Camp canadaに着くとそこに泊まっていたパーティが登る準備をしていた。数十人規模の人がいたが、ギリギリ先行することができた。空を見ると、赤い月が出ていて目がおかしくなったのかと思った。石橋さんに確認したら同じように見えていた。7:40にインディペンデンシア小屋に到着。丁度その手前でケンさんと会った。なんとケンさんは31日に登頂した時よりも景色の良い動画を撮ろうとBCアタックに挑戦していた。前日の夕方に出発して歩き通しているのだそう。少しお話した後、先に出発した。このあたりから体に異常が出てきて、肺が全力疾走の後のように痛くなってきた。もう登頂したいという素直な気持ちよりも、安全地帯に逃げるために早く登頂してしまいたいという気持ちになっていた。
そこから頂上までの道のりは、大トラバースと呼ばれる、長いトラバースと、グランカナレータと呼ばれる急斜面の登りが出てくる予定だった。トラバースは歩きやすかったのだが、その後グランカナレータに入るまでの登りがかなり怖かった。というのも、ちょうどその地点からは4300mのBCが直下に見えるのだ。標高は6600mで、遮るものは何もなく、斜度も急で雪も締まっていたので、滑ったら2300mの標高差を滑っていきそうだった。アイゼンを引っかけないように最善の注意を払って通過した。グランカナレータ基部に着いて休憩していると、先行パーティがスープを分けてくれた。アルゼンチンの方だそうで、特有のスパイスの味が美味しかった。なぜこんな追い込まれた状況で他人に気を配れるのか。感動した。温まったところで、いざグランカナレータに向かう。やはり噂に聞いていた通り急斜面で、落ちたらいけないところがいくつかあった。ただ普通に登れば問題ない程度で、他パーティでもロープを見たのは1組だけだった。もう山頂は見えているのに、1歩が進まず、1時間に100mずつ標高を上げる状況が3時間続いた。特に稜線に乗り切った後の最後の登りは、1歩出しては10秒休むようなペースだった。途中石橋さんが、南壁から身を乗り出せるポイントで楽しんでいたが、私はそこまでの数歩を余分に歩く元気が無かった。そんなこんなでいつまでたっても近づかない頂上だったが、ついにその時は来た。石橋さんはずっと先行を行っていたのに、最後は私に譲ってくれた。頂上は広場のように平らな場所だった。12:30登頂。先行パーティがいて喜びを分かち合った。そして石橋さんと握手をした。嬉しいという感情ももちろんあるが、何度も諦めかけた場所に立っていることが不思議でたまらなかった。本来だったら立てなかった場所に、石橋さんと山で出会った人達が押し上げてくれた。山頂では先行パーティが貸してくれたアルゼンチンの国旗とW杯優勝でアツアツのサッカーユニフォームを掲げて写真を撮った。南側にはガスが上がり始めていたので景色は見えなかったが、北側には遠くの方まで山が広がっていた。少し休憩して写真を撮った後、下山を開始する。下り始めると、沢山の人とすれ違った。みな数日間待ち望んだアタック日だったので当然だろう。やはり下りはあっという間だった。16:30ごろに帰幕。喜びを?みしめて眠りについた。
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1月5日 Nido de condores[5500m]~BC:Plaza de mulas[4300m]

ゆっくり準備して下山しようと思っていたが、既に家のような感覚になっていたBCに早く帰りたいという思いが募り、朝ごはんも食べずに急いで下山した。下山してからは余っていた食料をたらふく食べたり、カフェテントに行って、有料のWifiで日本に登頂の連絡をしたりした。
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1月6日 BC:Plaza de mulas[4300m]~Horcones登山口[2850m]

下山する旨をINKAスタッフ伝えたところ、今回申し込んだプランでは下山時も登山口まで一人30kgの荷物を預けられるということを教えてもらった。3kgほどの水と食料を残して全ての荷物を預けた。下山はカイさんも一緒に楽しくおしゃべりしながらだった。Confluenciaで雨が降ってきたので少しテントで休ませてもらい、また出発した。登山口に着くと、丁度迎えの車が来てくれた。公園事務所で下山を報告して、INKAの荷物引き取り場所に到着。そこで長時間荷物を待った。カイさんやツアー参加者はMendozaまでの送迎もINKAにお願いしていたが、私たちはバスでMendozaに帰った。その後、バスが遅れて深夜を回ったり、ホテルに着いたのに、追い出されて別のホテルに移動したりと色々あったが、なんとか17日ぶりのベットで寝ることができた。
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感想

今回私は初の高所登山で、石橋さんも初めての6000m級登山だったが、無事登頂することができて良かった。壮大な景色は勿論、その土地ならではの文化を見たり、たくさんの人との出会いがあり、本当に楽しい旅だった。
準備が嫌になることもあったが、結果的に無事に帰ってこられたので大成功だったと思う。また目標通り、気持ち的にも大満足して、足りなかったなにかが埋められたように感じる。そして思ってみなかった事だが、日本の山の良さを再認識した。というのも今回スケールの大きな景色に感動した場面もあったが、日本の山の方が圧倒的に美しいと思ってしまったのだ。緑があり、水が豊富で生命が感じられる日本の山が私は好きみたいだ。もっと日本の山を知りたくなった。

今回の計画を応援してくれた山岳会の仲間と、家族、友達、職場の同僚には本当に感謝したい。相談に乗ってもらったり、トレーニングに付き合ってもらったり、沢山助けていただいた。心配もおかけしたと思うが、人生での中でとても貴重な良い経験をさせていただいた。本当にありがとうございました。
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