徳本峠 残雪期登山
- 山行日
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- 山域、ルート
- 徳本峠
- 活動内容
- 残雪期登山
- メンバー
- A谷、橘(記)
徳本峠 残雪期登山の山行記録
本来、この峠に登る予定ではなかった。初日に今年最大級の雨の中を二日間かけて霞沢西尾根を末端から取り付く予定だったが、余りの雨の激しさにカッパも役に立たず、何とか屋根の有る所を繋いで登りたいということでバリエーション尾根への取り付きは諦め、バスで上高地までのんびりと行き、そこからは小屋伝いに明神小屋まで距離を伸ばし、そこから夏道で約2.5時間で行けるという、徳本峠を目指すことにした。小屋というからには多少の屋根は期待できるし天気予報は15時頃から雨は止みだし、翌日は快晴と言っている。何より”峠”という名称がよい。
”峠”ならゆっくり傘を差しながらでも登れるだろうというのがこの”峠”に初めて挑む無知な二人の共通意見だった。また、この”峠”への変更には40年来の謎解きの目的もあった。この”峠”の存在は昔から知っていたが、何故素直に”とくもと”と読まず”とくごう”と読ますのか?その答えを探るのも雨によるルート変更の理由の一つだった。
前夜未明、さわんど岩見駐車場に車で辿り着いたが、土砂降りの雨で外に出てテントを張るどころではない。偶然、手前のところに屋根付きのバス停を発見し、大雨の中でもあるし始発までは使わせてもらってもいいだろうということでテントを張らせて頂く。ここだけは土砂降りの中の別天地だった。雨の中でテントを張っていたらそのうちに川の中州で寝ているのと変わらない状況になっていただろう。初日からずぶ濡れのシュラフではきつい。そのうちに始発のバスがやって来て我々を起こしてくれる。慌てて朝飯を掻き込み、駐車場に車を停めてそこから上高地までバスに揺られてのんびり行く。バスの乗客は皆さん日本人のように見えるが話している言葉は中国語や韓国語やタイ語、ベトナム語?等で上高地バスターミナルは最早東南アジアのハブ空港かといった感じだ。
気合を入れなおしてやや小ぶりの中を明神小屋を目指して歩き出す。約1時間で明神小屋着。(1100)。相方のAさんはここの小屋の蕎麦が安くて旨いと言って中へ入って行った。
私は蕎麦を食べる気分でもなかったので、小屋の縁で雨を避けながら行動食を摂る。隣で雨宿りしていた欧米から来たと思われる人魚姫のような女性二人連れに見とれていると、中では何やらAさんは蕎麦を止めてカレーを食べていた。後で聞いてみるとどちらも¥1200もするので、同じ値段なら蕎麦からカレーに変更したが、レトルトカレーとご飯のセットはそれほどは美味しくなかったようだ。腹ごしらえも出来たので、明神小屋から南へ転進し歩きやすい登山道で徳本”峠”を目指す。「上部はロープが要ります」とか書いた看板があるが、そんな馬鹿な。ただの”峠”やないかいな。とこの地域にに慣れない初老の二人は看板の警告を真に受けずよく踏まれた明瞭な道をずぶぬれになりながらひたすら歩いて高度を稼ぐ。途中、二回休憩し、峠の小屋まであと1/4というところで崩れたスノーブリッジに道を塞がれる。うーむ、困った。どうすんべと、今までの快適な登山道からいきなり命がけの雪渓通過というギャップにまごつく。一旦下りて、スノーブリッジのある枝沢をやり過ごし、GPSで”峠”の位置と方向を確認して隣りの雪渓を直登し始めるが30分ほどでまた崩れた雪塊が出てきた。雪渓上の木々は綺麗になぎ倒されており、雪崩の通り道であることを示す。かなり上まで雪渓は続いているが擂鉢状に角度は上がり、雨でコンディションも悪い。ここでアイゼン・ピッケルに換装し上部に突っ込むことも考えたが、降り続く雨の中時刻も15時に近く、携帯の電波も悪い。
この先上部で日没とともにアクシデント発生の危険性などを鑑み、1950m付近の雪渓上にて本日の行動を打ち切ることにする。整地に2時間ほどかけ、やっと今夜のねぐらと荷物用のテントの場所を確保する。結局、雨が止んだのは18時頃だった。5月の雨に濡れ、稜線にでてから風と寒さにしごかれるのはなかなかキツい。テント内で濡れた衣服類を乾かしながら、Aさん特製のぺミカンシチューを頂く。ぺミカンは準備は大変だが、山ではすぐに調理できて有難い。担ぎあげた酒1.5Lを空にし、気分よく1900就寝。夜中、寒い寒いと言ってAさんがコンロを焚くので目が覚める。
翌600起床。昨日の天気が嘘のような、雲一つない快晴。ああ、あと一日低気圧の通過がずれていれば、快適に当初の計画通り霞沢西尾根に登頂できていただろうなあと思うと残念至極。しかし天に刃向ってもどうしようもない。今回は残念ながら敗退するが、敗退しても次回へのモチベーションは上がる。これが登山の醍醐味だろう。失敗しても後悔することなく、かえって次回へのやる気が湧く。1950mのテン場からは真正面に明神の東陵から2263Pを経て1峰へと続く、大好きな山塊が堂々たる威容を朝日を受けて我々を誘っている。次は明神東陵から主稜だ、とかいやその前に徳本”峠”に借りを返しに来なければ、とか様々な想いが過る。
穂高よ、ありがとう。上高地よ、さようなら。
登れなかったにも拘わらず、何故か充実した気持ちでゆっくりと下山していた。
本日は、スペイン語、ドイツ語、フランス語等をすれ違いざまに聞きながらリベンジの想いを胸に上高地へと下山した。
notes
- ”峠”ではなく、山だった。
- 雪のある時期は上部雪渓に苦労させられる。
- 携帯の電波は総じて通じにくかった(docomo)
- 熊の気配は、有り。