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鹿島槍東尾根

2001年5月3日〜6日
メンバー: 大西 、小林 晋、橘 (記)

去年、体調不良のため第一岩峰手前までしか行けなかった、あの鹿島槍ケ岳東尾根に再度チャレンジすることになった。休みの日程の合う仲間がいるというのは有り難い事だ。
5/3(木)2200伊丹を出発。休憩1回で大谷原に到着は午前400。
5/4(金)730大谷原を出発。今日は日程も余裕があるので北沢で雪訓でもしようということに話がまとまった。しかしその後に大きな落とし穴があったとは…。900、北沢の手ごろな斜面で、滑落停止、スタンディングアックスビレイ等の反復練習を行う。1100、練習を切り上げ、東尾根の南斜面から尾根上にあがるはずだったが、少し奥へ回り込み過ぎたため、結構急な斜面登高となる。かすかな踏み跡はあるが、どうも臭う。地図上ではうまくルートをとれば緩斜面に合流出来るはずと踏んだが、行けども行けども斜度は増すばかりだ。その上有り難いことに天からの知らせか、上から落石や雪のブロックが我々の進路に警告を発し始めた。右のルンゼから雪のブロック、左のルンゼからは落石と、真ん中の狭い草付きで我々は撤退を決意した。リーダーが先頭で登っていてこの調子では…。 退却1220。2ピッチザイルを出して、北沢に下りついたのは1330だった。おーまいがッ。 再度地図を確認し、堰堤横より慎重に北をむいて足首位のラッセルで、ようやっと縦走のトレースに合流した。ふうー。1630一の沢の頭にヘロヘロ状態で到着。この調子では去年の再現かといやな予感がした。早速テント設営後、祝い酒に移る。しかし紅茶入りウイスキーを飲んだ直後から気分が悪くなり横になってしまい、カレーを食べることができなくなった。しかし死ぬ思いでお茶漬けと命の素の梅干しをかき込んで、2100就寝。明日はリーダの体調次第と言うことになり、疲労回復のため700迄寝るメンバーから許可を得る。(トホホ…)
5/5(土)シュラフから目を開けるとすでに日は高い。600起床。また一人だけ病人食のおかゆをかきこみ、800出発。またまた他のメンバーに迷惑をかけてしまった。出発の遅い割には雪の緩みが気になり、そそくさと雪稜を歩く。900二の沢の頭。1000第一岩峰基部着。ここで右のルンゼも行けそうだが残置ロープのある階段状岩場をトップで登る。下から見た感じではノーザイルで行けそうだったが高度があるのでザイルは必要だった。3ピッチで確保を解く。1300第二岩峰基部着。基部前に立派なテンバ跡があった。初日にここまでがんばれば後が楽だろう。リードはこばQ君に譲る。ザイルいっぱいで上まで抜けそうだ。 核心のチムニー前で「ピッチ切りまーす」のコール。おお、これはよかった、美味しいところが頂ける。上から何本もお助け残置ロープが垂れていて、どれを引いたらばばを掴まされるかわからない。取り敢えず全部束ねてバッチマンでランナーを取る。 邪道か力不足か悩みながらおもむろに前爪二本を残置シュリンゲを乗せ、身体を上にくねらせる。くねらせては又、先人の残したピンや残置ロープをまさぐり、高度を確保する。何度かくねらせると、終了点の岩塔に出た。おお、ええ眺めじゃ。後続を確保していると、稜線に後続のパーティの姿が現れたので記念写真を撮る。 その後は緩い雪稜となり、とぼとぼと歩いて天狗尾根とのJPを過ぎ、鹿島槍南峰に到着する。吊り尾根を経由して北峰に到着する。(16:00) 時間も遅いので北峰頂上でテントを張る。
その夜は風が少しだけ吹いていた。
5/6(日)本日は爺ケ岳を割愛しておとなしく赤岩尾根を下山する。630テンバ発。800冷池山荘着。高千穂平の少し手前より、尻セードで西沢に急降下する。おかげで下りは早く、西沢出合着 930。1020大谷原。1900神戸着。

NOTES:
何といってもリーダの体調不良がパーティのブレーキとなってしまった。日ごろの体調管理を充分にしておかないと、山で日頃の寝不足を解消しているようではスムーズな計画の遂行はおぼつかない。又、初日の雪上訓練はよかったが、その後の読図ミスと「多分行けるだろう」で急峻なリッジを詰めてしまったのはリーダを含め、パーティ内での意志疎通に不足があったためと考えられる。各自の経験を更に積み、的確な判断を的確な時期に下せるよう、今後の練習課題としたい。



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