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鋸岳 縦走の記録 
2001年11月23日〜25日
メンバー 橘 小林(晋) 須川(幸)  滝口 記

  今回の山行は全く楽しいものだった
須川さん以外ははじめて一緒に行く人たちじゃったし、とにかく鋸はあなどれない山でした
入山日、角兵衛沢の取り付きが分からなく、我々はばらばらになって必死に探していた。僕と小林さんは赤河原分岐の方へ偵察に行き、橘さんと須川さんはもと来た道を戻って探していた。三角点ピークと思っていた山は第三高点らしいということになり、第三尾根から派生する常蛾岳というのを見つけ、とりあえず我々は行き過ぎたんじゃないかということで、もと来た道を戻っていた。そこに、須川さんが来て、もう一回その辺に入山口が無いかと探し回る。橘さんは一人で探しているわけだ。結局僕らはもと来た道を戻りつつ、隊長が入山口を見つけてくれていたらいいなと、期待に胸膨らませていた。
  ピー、ピッピーと笛が鳴っている。橘先生ができの悪い生徒を呼んでいるなどと馬鹿なことを考えながら戻ってみると、橘先生ちょっと怒ってる......先生はあっさり道を見つけて、僕らの帰りをかなり長い間待っていたみたいだ。先生が怒っている姿をみて、僕は少し反省した。そこから黙々と歩き渡河を始める。なかなか渡り良いポイントも無いので僕は、川から出ている小さな石を踏んで向こう岸に渡った。バランスを少し崩したが、怒られた直後だしここで落ちて皆に迷惑かけるのもなんだと思ってとにかく僕は必死だ。須川さんと小林さんは僕の渡ったところは渡らず、他のポイントを探していた。先生は僕の渡ったところを飛ぼうとしている。両手につばを吐きかけ気合十分だ。僕は内心先生が落ちたらいいのになと思ってしまった。他人の不幸はたいてい面白いもんだ。ところが先生、小さな石を踏んだはいいものの、バランスを崩して片足がまず水に引きずり込まれてしまった。僕はえっ、と思ってしまった。この先は頭の悪い僕でも予測できる。先生は水に落ちまいと必死にバランスを取り戻そうとしている。まるでHIP HOPダンスを踊っているかのごとく足が動いている。しかし、ああ悲しいかな。動けば動くほど先生はバランスを失い、ついには水に半ケツがつかるくらいの勢いで落ちてしまった。そのときの先生の必死な表情と、ザックに引っ掛けていたアイゼンの乱れる姿、僕の脳裏に焼きついてしまった。めっさおかしい。おかしいがさっき怒られたばかりじゃし、会の先輩の失敗を笑うなんて僕にはできない。と思っていた。しかし、小林さんと須川さんがくすくす笑い出した。ここは笑っていいとこなのかなーとおもっていたそのとき、「待たずに、一人で先に渡っといたら良かった」と、先生がボソッと言った。この時僕はもう我慢ができなくなった。もう、腹筋が痛くなるほど笑ってしまった。皆が笑い終わった後も、僕の笑いは止まらない。面と向かって笑うのも失礼かと思い、背を向け必死に笑いをこらえるが、意思に反して腹筋は微妙な痙攣を繰り返す。笑うのをこらえるのは大変なことだ。僕は頭の中で、女の子のことや卒論のことなど山と関係ないことを思い浮かべ必死で今見たシーンを忘れようとしたが、一回脳裏に焼きついた先生のあの必死の形相はなかなか消えてくれなかった。先生が靴下を脱ぎ、靴を乾かしている間に何とか自分を取り戻す。
  ここからの登りはかなり急で僕は全くばててしまった。歩荷の必要性を感じた。体力があって40キロ持てたのは昔の話であり今じゃない。昔できたから今できるというわけじゃないことが分かり、帰ってから冬に向けてのトレーニングを心に誓う。大岩下の岩小屋はめっさすばらしい。なぜかって、ツララが張ってあるし水はふんだんに出ている。我々は須川雄司さんから貰った神戸ワインと、焼酎をロックや水割りで飲み楽しむ。須川さんは少量の酒で酔うことのできる経済的な女性だ。青谷さんが人を待つときいつも腰に手を当てて仁王立ちで待っている話を聞きまた僕の腹筋は痙攣をはじめた。もう筋肉痛になる勢いで笑った、最近  一日でこんなに笑ったことがあろうか、いや、ない。僕はこの時幸せだった。少しして、千葉の我孫子山岳会の方が来た。ビールはくれるは、アテはくれるは全く感謝する。しかしこの人たち、異常に山で酒を飲むことに興奮しているみたいで飲むは歌うわで僕は調子を合わせるタイミングを見逃してしまった。ところが橘先生普通に打ち解けて、ワインやら酒やら貰いご満悦だ。すごいなーと感心したまう。やはりリーダーはすごい柔軟性を持ってるものかしらんと、納得しつつ眠りにつく。
  二日目。今日は核心の日だ。否が応でも気合が入る。第一高点までは別に難しいところも無くさくさく進む。荷物も軽くなり気持ちもルンルンだ、新しいアイゼンを履き、冬に向けての練習も兼ね鋸をざくざく歩く。しかし、雪は少なく歯はみるみる減っていく(泣)。しかも履いて一歩目を出す前にズボンに引っ掛け、オニューのズボンに穴があく(また泣)
  第一高点からのくだりでザイルを出し、懸垂で降りる。鹿の穴と呼ばれるという風穴は、その名の通り風が強く、冬は大変だろうなと思いつつそこからの下りはクライムダウンで、さくさく降りた。ここから第三高点をまき、第二高点の稜線に取り付こうとするも、ルートが少しわかりずらく荷を置いてあちこち探し回る。結局インターネットの情報どうりの赤布へいたる道を通り、第二高点運を目指す。この辺は太陽があたらないのか所々氷が張ってあり、アイゼンがばしばし効いて気持ちが良かった。第二高点には鉄剣が突き刺さっておりなかなか趣のあるピークだった。北アルプスには雪がびっしりついていて、森本さんは敗退したのかなーなどと須川さんと話しながら歩いた。(森本さんはちゃんと鹿島槍を極めていた。失礼な会話をしてしまい申し訳ない)ここから石室を目指して歩いていると、熊の足跡を発見する。しかもめっさ新しい。小林さと僕は全くしびれてしまった。中央のときの嫌な思い出が甦ってくる。しばらく足跡を追うように歩いていたが、その後熊は急な沢を降りていったらしい。石室についたのは昼過ぎだった。僕と須川さんは水場を探し歩き回っていた。僕らは水場への道を発見し、水があると早合点した僕は先生に水はあると言い石室にテントを張る準備をしていた。先生はとてもご機嫌で、「ラジオを聞きながらコーヒーを飲んでゆっくり休む」みたいなことを言っていた。ところが水は枯れてなかった......まずい、と思ったが後の祭り。また先生からしかられる。さっきまでとても嬉しそうにしていた先生の表情はとても悲しそうになりへこんでいる。まるでカマキリが餌を取り損ねて首を傾けシュンとしているみたいだ。とにかく我々は水のあるとこまで降りなくては。二時間近く下降して沢につく。もう膝はがくがくで泣きが入っている、寒いので焚き火をしご飯を食べる。もう下山できるのは確実なので、次の日の行動食もあらかた食ってしまった。先生は焚き火の中に800円もするバンダナを落としてしまいs慌てて拾い上げまた被っていた。笑いを取るために800円のバンダナを火にくべるなんてなかなかできない業だ。なんか、長いようであっさり終わった核心日だった。次の日は、さくっと車のとこまで下山した。
  今回の山行で一番印象に残ったのは橘さんのHIP HOPダンスだった。その印象が強すぎてほかの事は薄く見えてしまう。何はともあれ隊長は偉大だった。行動一つで僕の腹筋を鍛えてくれた。これで当分腹筋せんでいいな。こんなお茶目な先生も家に帰ったときはやさしいパパに変身していた。すごい変わり身の早さである。でもなんかいいなと思った。
  そろそろ手も疲れ眠気も襲ってきたので終わろうと思う
最後に、橘さん、小林さん、須川さん楽しい山行ありがとうございました。また、どっか行きましょう
 滝口隆文


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