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南北朝のロマンを求めて〜大峰一人旅
                   2001.12.22-24 橘(単独)

 その年末、村の歳末警戒見回りと29日までの徹夜仕事のため合宿に帯同できない私は、早速冬の大峰にお伺いを立てに行くことに決めた。悲しいかな、冬の大峰の経験が乏しいため、まあ南の方に有るし標高も大した事ないので秋山に毛の生えた位の登山になるだろうと決め込んでいた。
 さて、計画ではトンネル西口より行者還岳を経由して山上岳、洞川下山後、自転車でまたトンネル西口へ戻るというインド人もビックリというような計画を練った。しかし当朝家で500に目覚めると、外は異様に寒い。もっと寒い大峰の稜線で一人ツエルトにくるまって一夜を明かすのが億劫になってしまい、急遽二日で二つの山にピストンすることに勝手に変更しながら車を運転する。
 2.5時間で洞川に到着。凍った道を運転していると道路沿いに観音峰登山口という看板があったので安易に観音峰に登る事にする。(計画書と全然ちゃうやないか。遭難したらどないすんねん)という神の声を後ろで聞きながらよく整備された道を歩く。
 途中途中に古代南北朝時代の遺跡のような祠や岩穴があり、それを説明した看板も立っているので一つ一つ学習しながら歩く。1時間ほどで中間の神社に到着。単独行のおじさんに会い、挨拶する。そこから30分ほどで展望台に到着、アベック二人連れに会い、挨拶する。そこからまた1時間ほどで頂上に着く。おじさんおばさんの8人連れに会い、挨拶する。
 時間は1200だが、他の皆さんはそのまま往路を引き返すというので私は法力峠を目指して足首程のラッセルを開始する。熊よけに鈴をザックにぶら下げる。赤テープはないが木々に黄色のマークが塗られているのでてっきり道標と思って急下降しているとどうも方角が怪しい。しかし登りかえす元気も出ないので地図で検討を付けてそのまま下りる。どうやら木こり道に降りてしまったようだ。御手洗遊歩道に飛び出し、仕方なく車まで歩道を歩く。車着1400。洞川温泉に行くが正月まで休館で仕方なくその晩は風呂に入らず、翌日に弥山にトンネル西口からあっさりと登る計画を立て大川口のゲートまで運転して車寝とする。お巡りさんがやってきたので、明日の計画を話し、登山届けを渡す。
 二日目。目が覚めると5時を回っていた。誰もいないと思っていたが、夜中に車が来てたようだ。夜明け前に出発する積もりだったので慌てて身支度をする。大川口からトンネル西口までは延々の道路歩きだ。地図でみると片道100分位かかる。1時間程歩いた所で目が眩しくなり、グラサンを取りに車に戻る事にする。ついでに自転車も車から降ろし、帰りは雪の道を滑って下りる事にする。トンネル西口着1000。
 行者還からの稜線出合い1130着。誰にも合わない寂しい雪道をとぼとぼと歩く。次第に雪は深くなり、重登山靴で来なかったことを後悔する。しかし稜線から見渡す大峰の山々は寂しくも美しく、このまま大峰の雪に抱かれて永遠の眠りにつけたら、などという妄想にも取り付かれる。
 1230少しピッチを上げて弥山小屋に到着。単独行の若者に会い、お互いビックリする。早速コンロで湯を沸かし、スープを流し込む。陽も差しはじめ快適にベンチで寛ぐ。みかんを食い終えた所で、八剣山を目指して出発する。
 1330八剣山着。誰もいない。回りは山だけだ。不意に生きている証にうんこが出そうになり、少し南に下った斜面でひり出す。ここから釈迦岳へは完全にトレースがなく、思わず吸い寄せられそうになった。
 再び下界に戻る決心を立て、1410弥山小屋着。川合方面にも立派なトレースがあったが、大人しく元来た道を帰る。すれ違った若者はスノーシューで歩いたらしく、その上に足を乗せると必ず20センチほど足が潜る。そんなことを考えながら、また再びトンネル西口へ1530着。さあ、ここからMTB大滑降だあ!と気合を入れ、雪の積もった国道を自転車でこぎ下りる。気圧変化で耳がツーンとなる快感に酔いしれながら、1600頃、車に到着。歩いていたらまた100分はかかったろうと思うとうんざりする。
 誰もいない大川口でまた寂しく嬉しく車に荷物を詰め込み、雪の道を伊丹まで帰るのであった。(完) 


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