剱岳 源次郎尾根 アルパインクライミング

2002年8月10~13日      岡島(記)

岡島伸浩、大西幸次、松本るみ、岡島祥愛、樺山智代、岩瀬裕紀

登山体系によると、源次郎尾根の初登は大正14年7月9日に今西錦司らによって成されたことになっている。「源次郎」の所以が何処から付いたのか私には疑問であり、今錦らが登ったときの立山のガイドが「源次郎」だったのだろうと思っていた。

源次郎尾根には数年前の5月に小林さんと三瓶君とで登ったことがあり、残雪期の印象では殆ど雪の階段上りであった。取り付きのルンゼが、アイゼンのツァッケとピッケルのピックでの堅い雪面の急登であり、もしスリップしたら長次郎谷の出会いまで止まらないだろうと、夜明け前の暗闇を慎重に歩いた思い出がある。

以前から仙人池から裏剱を見たい想いがあり、できれば剱を登った後に仙人池から阿曽原へのコースを取りたかった。そして奥鐘山を久し振りに訪れたいと思っていた。

今回のパーティーの特徴はKAC婦人会の二人と新人二名の構成であり、剱の入門ルートとしてしかも頂上にダイレクトに突き上げる源次郎尾根を選んだ。そして後半は温泉付きの黒部の山旅を味わう計画であった。

8月10日 晴

黒部ダム7:30 内蔵助平11:00-11:20 ハシゴ谷乗越13:30 真砂沢15:20

暑い一日であった。丸山東壁には誰も取り付いていない様だ。東壁の麓を過ぎて内蔵助平への途中で登山道が判り難く、沢の中を行ったり来たりして時間をロスする。道は左手の山腹に続いていた。内蔵助平の渡渉点で冷たい流れに足を漬けたりして休む。この場所も思い出があり、数年前の五月に青谷さん、平木さん、須川君、城井さんと雨の中を登って来た時、融雪増水が更に激しくなっており、その日は渡渉できずキャンプした所だ。翌朝は何事もなかったように水が退いていた。

ここからハシゴ谷乗越までが水の無い暑い涸れ沢をトボトボ歩く。単独の男性と抜きつ抜かれつ。その人も明日は源次郎尾根を上って三ノ窓まで行き、チンネ左稜線を登ると言っていた。ハシゴ谷乗越を越えると八峰のⅠ峰マイナーピークが間近となり、真砂沢のベースは近い。

8月11日 晴 一時雨

真砂沢BC5:30 源次郎尾根取付き6:30 剱岳頂上14:00 剣山荘17:00 BC19:00

源次郎尾根は中間ルンゼから取り付く。すぐに5メートル程のチョックストーン滝が現れる。先ず、左手のクラック沿いを登ろうとするがスタンスが乏しく、また上の方にはピンが無いので此処は止めにしてズルズリと降りて来る。次は正面のハーケンが連打された所を試みる。最初の一歩からシュリンゲを鐙にしてのA1となる。このような登り方はメンバーにとって初めてだろうから、有りったけのシュリンゲをぶら下げておく。

チョックストーン滝を抜けた後のテラスは安定しているのだがザイルをフィックスする支点が見当たらない。大きな岩にザイルを捲こうと、大岩の周囲の小石をどけて空隙を作ったが、腕がその穴に入らない。針に糸を通す様な感じで苦労して、小さな穴にザイルを通して大岩にザイルを結び付けることができた。後は皆にプルージックを使ってシュリンゲ鐙を見様見真似で登ってもらう。そしてすぐ上の階段状のスラブをもう1ピッチフィックスする。

ガレた沢を落石に注意しながら進むと二股になっている。以前、残雪期には右手を登った記憶があるのだが巨大なチョックストーンが阻んでおり、左手の急な草付きにルートを取る。所々の露岩を注意して登ると尾根上の踏み後に出た。尾根に上がるのに末端から3時間近くかかってしまった。

あとは踏み跡を気楽に歩きたいと思っていたが、道が所々崩壊しておりブッシュを掴んで慎重に進む場面もある。

Ⅰ峰東面の上部岩場が見渡せ、名古屋大ルートの核心であるハング上のカンテを丁度登っているパーティーがいる。それ以外のクライマーは見当たらない。

Ⅰ峰からガスの中にⅡ峰が目前に高く聳えて見える。何処を登るのかやや心配になる。Ⅰ峰を慎重に下り、Ⅱ峰は這松を掴んでの急登で高度を稼ぐ。Ⅱ峰は岩稜になっており、一番奥が懸垂下降のところである。後からやって来た名古屋大ルートを登攀して来た二人パーティーに先を譲る。

30メートルの懸垂下降にメンバー達は緊張している。ご婦人方は顔を強張らせて、お互いに順番を譲り合う。大西さんに最初に下降してもらう。そして私が支点のところでメンバー達のセルフビレーや懸垂下降のセットを確かめ一人一人を降ろしていく。

全員が懸垂下降を終え、後は頂上へ続く岩混じりの斜面を黙々と登る。頂上に到着した時は午後二時を過ぎており、既に人影は少なくガスで展望は利かなかった。頂上の祠の前で剱岳の標識を掲げて記念写真を撮る。10年以上前の会報にも伊井さん達の同じ様なポーズの白黒写真が載っている。携帯電話で家族に登頂を報告したり、写メールで頂上の写真を送ったり出来るのにはおどろいた。

雨が降り出しそうでゆっくりとしていられない。計画では真砂沢に最短で帰れる平蔵谷を下降して、本峰南壁や源次郎尾根の岩場を眺めながら雪渓を歩く予定であった。

頂上から降り始めるとすぐに雨が振り出し、「カニの横ばい」などの岩場はスリップしないように慎重に降りる。小さな非難小屋を通りすぎると平蔵谷のコルに着く。視界が悪く雪渓の傾斜が良く判らず、全員に疲労の色も隠せない。遠回りになるが剣山荘を経由する登山道をたどることにした。起伏の多い別山尾根は下山と言えども楽ではない。前剱を越え、一服剱を登り返す頃には雨はあがった。雷雨にならなかったが典型的な夏山の夕立であり、登山の教科書で言えば「夏山の行動は午後2時までには目的地に着くこと。」になろうか。

一日の行動を終え山の夕暮れを憩う登山者でにぎやかな剣山荘を後にして、真砂沢のベースキャンプに向けて剣沢を急ぐ。早朝に登り始めた源次郎尾根の末端を通過した頃には真砂沢のベースも近いと安堵感が漂う。下方の長次郎谷から、剣沢へと帰路を上り返すクライマーが数人、黙々と歩いてくる。八峰の何処かを登って来たのだろう。その歩みは疲労感を漂わせながらも、顔は充実感で満ちていた。

8月12日 晴 一時雨

真砂沢6:30 仙人池10:00~11:00 仙人湯小屋13:00 阿曽原温泉16:30

今日のコースは一般道であるが、裏剣を初めて歩くので楽しみにしていた。出来れば仙人池からの八峰を見たい。南股を下り北股との合流である近藤岩の吊橋で休憩する。この川の下には剱大滝があり黒部の十字峡に続いているとは想像できない。池平山や小窓は見えるが、三ノ窓や八峰上部はガスの中である。仙人池に着くまでに晴れることを期待する。仙人池への上りは重荷での夏山の縦走気分を味わっているうちに、ヒュッテの赤い屋根がすぐ横の山稜に見えてくる。

八峰が見えれば最高だったが下半分しか見えなくとも、池のほとりで茶を沸かしたりラジオで音楽を聴いたりして小一時間ほどくつろぐ。山での最上の時間だ。後からやって来た年配の登山者は、まだ昼前だが仙人池ヒュッテで泊まるそうだ。人生にも余裕がにじみ出ている気品ある紳士に思えた。私の本心も此処で泊まりたいのだが、今日中に阿曽原までキャンプを伸ばしておかないと翌日の下山がままならない。また何時の日にか仙人池に来よう。次は池平山や北方稜線を訪れたい。ちらりと目に入った、小屋の玄関に掛かってある剱岳の絵が気に入った。

阿曽原への下降は仙人湯辺りまでは調子良く進んだ。しかし、坊主山の南面は巨大な雪崩が起るらしく、登山道が雪渓で寸断されている。雪渓を横切って対岸に渡り、そこから尾根を登り返す様にルートが指示してある。雪渓の冷気で対岸がガスってよく見えない。また10メートル位すぐ下は雪渓が崩壊しており、もしスリップしてシュルンドに落ちれば大変な事になる。数十メートルの雪渓のトラバスであるが慎重を期してアイゼンを着ける。

対岸に渡った所で我々がモタモタとアイゼンを脱いでいる間に、単独の軽装の人が来てそのまま下へ降って行った。確かに下流へ続く明瞭な道があるのだが、ここは看板の指示どおり上へ登り返す道を選択する。

200メートルは上り返したと思われる。例の単独の人が駆け上がって来て、また抜かされた。

午後三時頃に雨が降り出す。小雨になるまで少し雨宿りして休むが、だんだん大雨になる。阿曽原峠からの下り道は殆ど沢下りであった。プレハブの阿曽原小屋の軒先でやっと雨宿りできた。小屋の番人が「あれが阿曽原の滝と言って、雨の日にしか見られない滝だよ。」と自慢気に話しており、温泉上がりでビール片手の登山客がしきりに「雨の日にしか見られない滝」を珍しそうにシャッターを押していた。ズブ濡れの我々にとってはありがたく無い滝であった。

8月13日 曇のち晴

阿曽原温泉5:30  欅平11:30

昨日は夕食頃には小雨になり、日が暮れて湯に浸かる頃には霧雨となった。夜中には星が沢山でていたが、明け方には再び雲行きが怪しくなってきた。下山日であるが、天気が不安定な周期に入った様なので、早々に阿曽原を出発する。

水平歩道は取り立てて記すことは無いが、志合谷には大きな雪渓が懸かっていた。谷の岩盤にトンネルの歩道がありヘッドランプが必要である。今は溝を掘って水はけを良くしており、以前のように膝下まで水に浸かる事は無い。

志合谷のトンネルをくぐり終えた頃には青空が見えてきた。右手には奥鐘山の壁が見え始めた。

奥鐘の西壁が正面に見える少し広くなった場所でザックを降ろす。水平道は道幅が狭く六人が円陣になって休める場所が少ない。

樺山さんのザックから最後の缶ビールを取り出す。栓を抜いて、先ず西壁に向けて差し出す。るみちゃんのザックからは焼き豚の塊が2ヶも出て来た。松ちゃんが「6人で焼き豚1つでは物足り無いだろう。」と言って持たせてくれたという。るみちゃんにはとんだ負荷だったが、松ちゃんに感謝した。

そして、新人2名とご婦人2人連れのこの山行が無事計画どおりに楽しめたことを、寺川ピーちゃんに感謝した。

終わりに

富山からの帰りの汽車の中で読んでいた高田直樹の文庫本に、源次郎の件が書いてありました。

佐伯源次郎は大正十五年に剱沢小屋を建てた人です。小屋建築の折り平蔵谷に木を切り出しに行くのを間違って、源次郎尾根取り付きの中間ルンゼに入ってしまい、そのまま頂上まで尾根を登ったのです。その翌年(大正14年)に今錦らがこの尾根を登ってからその話を聞き、「源次郎尾根」と名付けた訳です。