氷ノ山 流れ尾根 冬期登山

2010年03月08日     山吉  橘(記)

氷ノ山。あまりなじみの無い山だ。何故だろうか。家から遠いからだろうか。しかし過去10回は登っている。しかし何回来ても印象に残らない。何故だろうか。今回、A君からお誘いを受け、平日の休みも合うということで流れ尾根から頂上へ往復することにする。尾根の名称がなんとなく雪崩に合いそうな感じがして嫌だがそういう名前なので仕方がない。

前夜22時、名塩を出発。一路福定へ。到着翌0時過ぎ。雪もほとんどないので林道を車で上がり、ゲレンデの中央、リフト2本を乗り継いで上がった辺りに車を止める。1時30分頃就寝。

翌日6時起床、7時発。夜の間に雪が降ったらしく辺りは一層の銀世界で気持ちが良い。氷ノ山国際スキー場は昨日で営業終了と言う事で、スキー場は我等二人の支配下にある(んな大層な)リフト2本分を歩き、最終リフト終点に8時過ぎ到着。下山に使うスキーと靴をデポして、流れ尾根を目指して支尾根に取り付く。雪は少なくリフト終点で50センチ位だ。支尾根を登り、流れ尾根に合流は9時頃。

1月に登ったときは流れ尾根に乗るのにスコップで雪庇に穴を開ける必要があったそうだが今回は雪庇もかなり崩れており、それほど困難もなく尾根に乗る。尾根に乗って南を向いてしばらく登ると次第に傾斜がきつくなってきて、ワカンがよく滑る。30センチほど下にカキ氷のような粗目の雪の層があり、その上に新雪が30センチほど積もっている。今回アイゼン・ピッケルは持って来てないので慎重にキックステップで登る。しばらく登るとやがて又傾斜は緩くなり標高1260地点あたりを通過する。

原生林に発達した樹氷が見事でしばらく見とれてしまう。A君は樹氷の中で前回は一泊したそうで、この神秘的な樹氷の森での一夜はそれは素晴らしいだろうと想像される。(熊には要警戒だが)鹿の足跡はほとんど無く、その点は京都北山の縦横無尽の獣跡とは趣が異なる。

やがて地図上にも記載されているゲジゲジ(岩場)マークの辺りに到着。地図の通り、我々を迎え入れるように尾根上に1箇所だけ岩が切れてすんなりと頂上へと招いてくれる。雪が多いともう少し厳しく迎えてくれるだろうが。岩場を越え、頂上大地へあと少しという所でブッシュ漕ぎをし、台地へ出る。ここは敢えてブッシュに入らないと滑落時に谷まで流される危険性がある所だ。頂上大地からは磁石で確認しながら要所に赤テープを着けて歩き頂上避難小屋へ到着する。時刻は午前10時30分。

大山と同じく頂上付近は何の目印もない台地で、視界不良時は慎重な行動が要求される。過去の枝沢への転落事故も、恐らくガスの中、下山路をロストし、焦った上に滑落したのではないかと思われる。登山者を焦らすのは何だろうか。まず時間が考えられる。闇が迫ってくると多分焦るだろう。 そういう時は行動せずに近くに避難小屋もあるので朝までゆっくりすればよい。日没後の無理な行動は自殺行為だ。しかしパーティの中でリーダーが行動すると判断した場合メンバーはどういう対応をすればよいだろうか。リーダーの決断が常に正しいとは限らない。1日の遅れが各自の社会人としての立場の悪化に繋がることも有るだろう。

次の要因に自分の現在位置が分からなくなりここは何処私は誰になるということがあり得る。特に雪山でのホワイトアウトは登山者を焦らす。焦って歩き回り、結局自らのトレースに自から嵌ってしまうことになる。雪山ではトレースは出切るだけシンプルにしておかないといけない。複数でばらばらに歩き回ると正しいトレースが分からなくなってしまう。また赤布や赤テープは安価なので有効に活用すべきだ。しかし林道にまでテープをつける人がいるのでそこまですると自然破壊だ。

さて、避難小屋でラーメンや甘酒、手作りケーキ、コーヒー等を食し、下山にかかる。(午後12時30分)流れ尾根への降り口は非常に分かり難いので赤テープで目印を付ける。

下山にてこずるかと思ったがサクサクと降り、リフト最終のデポ地に午後1時30分着。さあ、ここから3年ぶりのスキーだあと気合を入れて靴を履き替え右足、左足と愛用の粗大ごみで拾ってきたスキー板にコバを嵌めいれるがどうしても片足が嵌らない。ザックの奥からねじ回しを出し調整ネジ?を締めたり緩めたりしたがそのうちにネジの根元がパリンと割れてしまった。やはり道具には金をかけるべきだったと後悔する。しかしまだ家には板が7セット位あるので次はどれを履こうかと悩む。片足スキーで必死に降り、途中からは歩いた方が早いことが判明したので大人しく歩いて降りる。車デポ地着午後2時頃。土日と違い道路はがらすきで立ち寄った温泉もゆったり貸切でインド人も大満足で自宅へと戻る。