槍ヶ岳 中崎尾根 残雪期登山
2011年5月7日~8日 橘
5月7日(土)
飛騨清美インターで降りる予定が間違って白川郷まで行ってしまい、約50キロも余分に高速を走ってしまった。新穂高には午前4時に到着。登山者用無料駐車場を探すが夜中でわからないので適当なところに車を停めて仮眠。
朝6時起床。少し戻ると立派な広い無料駐車場があった。温泉もあるので登山基地に良いところだ。支度をして、7時出発。13時ごろには槍平かなと予定しながら夢遊病者のように歩く。白出沢出合に10時頃到着。ここで何故か判らないが白出沢をそのまま上がってしまい、やけにデブリがあるなとか、両側の岩壁から落石が頻発するのでこんなところでテントはいやだなとか考えながら歩く。
そのうち谷が狭まりどう見ても一般縦走路とは思えなくなってきた。ここでやっと地図を出し、何故か手にはめていたプロトレックの電子方位で現在地を検索するが、まあ合っているだろうと安易に考え、尚もデブリの中を歩く。ついにはアイゼンをつけないと危険になってきたのでピッケルとアイゼンを装着する。それにしても何かおかしい。あの二股は何だろうと考えそこまで登り。地図とザックからシルバーコンパスを出してあわす。なんと方位がずれている。やっと自分の間違いに気づき、急いで引き返す。これで今回の中崎尾根は時間的に無理かなと思い始める。
その間にも突然前の岩がUFOに見えたり、雪面に落ちている木の枝を雷鳥のつがいと錯覚し、慌ててカメラに撮って見たりと、終いには目の前の木を見て登山者と間違い思わず話しかけたりと寝不足と疲れでふらふらだ。滝谷出合も気づかぬうちに通過し、藤木レリーフは雪に埋もれているのかと考えながら、やっと微かに見覚えのある槍平手前の樹林帯に到着。冬季小屋で寝るのは贅沢なのでここら辺でツエルトを張ろうかとも考えたがとりあえず小屋まで行くことにする。
小屋到着15時。8時間もかかった。さすがに連休も終わりなので誰もいない。しかし合宿最後の夜をうちのクラブのようにドンちゃん騒ぎで締める不届きなパーティもいないとも限らない。ツエルトでもう少し先へとも迷ったが、小屋の快適さには逆らえずその場で寝転んでしまった。しばらくして晩飯の準備を始める。
といってもおにぎり三つと納豆、スープ、といった豪華なものだ。ビールを飲んだところで寝ることにする。下山途中の登山者からの情報では明日は天気が崩れるとの事だがラジオでは明日は曇りのち晴れといっている。天は我に味方するだろうか。17時就寝。
5月8日(日)
午前0時に小便をしに外に出ると本降りの雨だ。この雨では登頂は無理だなーと、下山の作戦をシュラフで練る。しかし予定通り中崎尾根でツエルトを張っていたら、この雨は非常にきつかっただろう。シュラフもザックも一晩でびしょ濡れになり、登山どころではない。しかしここは快適な赤坂プリンスホテルなので外の雨音を子守唄にしながら明日は温泉か高山観光かはたまた仕事かと思案する。4時のアラームで目が覚め外を伺うと雨はだいぶやんできたようだ。
ラジオでは今日は曇りのち午後から晴れと言っている。うーんこれでは行けそうだ。やはり行こう。覚悟を決め、6時出発。朝からグズグズの雪で最悪だ。3時間程歩き、大喰岳西尾根の末端あたりに到着。だんだん風とガスが出てきたがこれくらいなら行けるだろう。気分は槍の冬季小屋でいかに美味しいコーヒーを味わうかに絞られてきた。しかし甘い希望に対して山は次第に牙を剥き始めていた。
方向を転進して沢は東へ向かうが次第に視界が利かない。竹ざおと赤旗が50mおき位に立てられているので助かるが次第に風が強くなってきた。30秒歩いて30秒待機、20秒歩いて40秒待機、10秒歩いて50秒待機を繰り返し、飛騨乗越に上がった。この辺の風がまた強く立ってられない。視界ゼロになってきた。3分待機して3秒見えたので次の赤旗まで突き進む。次の赤旗が判らない。こうなったらガスとの戦いだと覚悟を決め、雪面に土下座しながらガスが晴れるのを待つ。
そうこうする内に寒くなってきたのでザックからフリースを出して着込む。途中でオーバー手袋がするりと手から離れるが奇跡的に2mくらい手前の岩に張り付いているので風向きが変わらないうちに必死で飛びつき、事なきを得る。40分くらい。その場で粘るが気がついたら両手の指先の感覚がない。しかしザックの肩のペットボトルはまだ凍っていない。再度確認するがやはり左手の指2本が硬い。
これはいかん、凍傷の始まりだ。その場でもんだり息を吹きかけたりするが右手はしばらくして痛みとともに血が通ったが左が元に戻らない。このまま進むと凍傷悪化が確実なのですぐに高度を下げるべく下山する。晴れていたらなんともないような沢のはずだが一面真っ白なので降りるのも怖い。なんとか竹ざお4本200m位を降り、気温も上がったので必死で左手を回復させる。結構時間がかかったが10分位でやっと血が通い鈍痛が来る。こんなに寒い5月の山は初めてだ。
指が復活したところで再度登り返そうかとも思ったが相変わらず天気は最悪だ。こんな状況で槍の穂先に立ったところで誰からも褒められないだろうという結論に達し、残念だが下山を決定する。後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながらしかし相変わらず槍も何も見えない。山全体がドス黒い雲に覆われてまるで悪魔の様相だ。下山開始11時。槍平小屋到着12時30分。今日中に帰るか迷ったが小屋に入ると同時にまた寝転んでしまう。少し早いが晩飯の準備にかかる。
今夜は鰯の缶詰を酒の肴に、ジフィーズ、五目豆、煮干という豪華版だ。飯も食い終え、寝ることにする。といってもまだ16時だ。一寝入りして目が覚めるとなんだか外が明るい。出てみると今頃晴れてきた。チキショー!今からなら登れるかも、といった馬鹿な考えも頭によぎる。すべては神の思し召しどおりだ。貴方は飯を食べて、今日はゆっくりと休みなさいと、マリア様のお告げを聞き、従う。
二度寝開始19時。一人で小屋で寝てばかりなので目がさえてなかなか寝られない。しかし俳句が二句と短歌一首、将来の人生設計、年金計画、資産運用、職場改善と様々な思索が得られた。
5月9日(月)
今日はおとなしく帰る日だ。5時出発。帰りはまさか間違わないだろうと思っていた白出沢出合でまたルートを外れ、今度は沢筋に降りてしまったので500m程上り返してやっと林道を拾う。厄介なポイントだ。10時駐車場。すぐ傍の深山荘で露天風呂(500円)に漬かり元気を取り戻す。入山日と下山日が快晴で中日が吹雪と最悪な三日間だったが得るものも大きかった。
バスターミナルの岐阜県警山岳警備隊の方に聞くと、8日の午前10時ー11時頃が一番風が強く、西穂ロープウェイも午前中は強風で止まっていたそうだ。 その時、私はたった一人で2900m付近で風とみぞれと戦っていた。阿呆ではないか。と、露天風呂から抜戸岳の稜線を見ながら自分自身を振り返るのであった。(完)