大山 振子沢 山スキー 山スキー

山行日2014年3月11日
山域、ルート大山 振子沢 山スキー
山行形態山スキー
メンバーY山

大山 振子沢 山スキー 山スキー 山行記録

この前の土曜日に休日出勤したので、本日有給取得。
昨日まで降雪があったが、本日は移動性高気圧に覆われて晴天が予想された大山振子沢での山スキーを計画した。

早朝神戸発で、現地着06:30。途中のコンビニで補給するつもりが、高速に乗って現地着までコンビニが無かった為補給できず。
ザックに行動食はある程度入れてあるので、今回の山行分には十分。

3月に入って日の出が随分早くなり、6時には辺りは明るく、ヘッデンなしでスタート。気温はマイナス8度ほどで寒い。
県道のゲートは積雪ですっかり埋もれてしまっている。
大山 振子沢 山スキー IMGP1935

なだらかな傾斜地の樹林帯を快適にシール登高していく。昨日までの積雪の為、スキーで足首ラッセル。ツボ足だとしんどいね。

ここ数年3月の恒例山行となり、ノートレースでも迷うことなく鳥越峠へ向かう。
それにしても朝からヘリが何回も上空を飛んでいる。遭難でもあったのか?

予報通り高気圧が張り出したようで、頭上は青空が広がり、日射で気温はぐんぐん上昇。
暑くなってきたのでハードシェルを脱ぐ。

鳥越峠に到着すると、風が若干強く、およそ5~6m/sか。
シールを剥がし、本日一本目の滑走。駒鳥小屋方面へ向けてドロップ!
大山 振子沢 山スキー IMGP1942

昨日までの積雪により、快適なパウダースノー♪この時期にパウダー滑降できるとは思ってもみなかった。

一本目の滑降を終了し、再びシール登高開始。間もなくデブリに埋め尽くされた沢に出る。かなりの規模のデブリだ。
大山 振子沢 山スキー IMGP1943

ハイクアップしていくと、振子沢からではなく、本沢からのデブリだった。

振子沢にはデブリは全くなし。

気温が上がってきた為か、雪質が先程の樹林帯とは変わってきた。早く滑走しないと楽しめなくなりそう。

相変わらず頭上にはヘリが何度も旋回している中、天狗ヶ峰へ向けてシール登高続行。
大山 振子沢 山スキー IMGP1944

息が上がり、何回か立ち止まりつつハイクアップしていると、稜線の方から人の声が聞こえた気がした。稜線は風が強いようで、積雪が舞い上がっている。風の音が人の声みたいに聞こえたのかな?
大山 振子沢 山スキー IMGP1952

天狗ヶ峰に近づくと、稜線に人影が見えた。さっきの人の声は空耳ではなかったようだ。

息を切らしつつハイクアップしていくと、先程の人影が右手の稜線に移動しており、稜線上から声を掛けられた。
もうすぐヘリがピックアップに来るので、尾根に上がってくれと叫んでいたが、詳細は風の音で掻き消されてよく分からない。

とりあえず、稜線の人影に向けて方向転換し、急な斜面をシール登高。
稜線に到着すると5~6人の登山パーティだった。ヘリのことを聞くと、日曜日に遭難があったとのこと。
3人パーティのうちお一人は亡くなられたようで、残り二人も重体らしく、ヘリは風が強い為、風が弱まるタイミングを見計らって旋回を続けているようだった。
遭難した3人パーティは剣ヶ峰へ向けて縦走しようとしていたらしいが、急な天候悪化で直ぐ近くにあるユートピア小屋の場所も判然とせず、稜線上でスノーブロックによるビバークで遭難した模様。
この5~6人パーティはやたら事情に詳しいなぁと思いつつも詮索はせず、気温は約0度と高めだが、約8m/sの風で体温をどんどん奪われていくので、上に行かなければ問題なく下山しても構わないと、そのパーティに確認を取って、早々に振子沢へドロップ。
大山 振子沢 山スキー IMGP1955大山 振子沢 山スキー IMGP1956

稜線に近い積雪は強風と日射によるものか、ウィンドクラスト気味で快適な滑降とはいかなかった。高度を下げていくと、雪質が良くなり、まあまあ快適に滑降できた。
大山 振子沢 山スキー IMGP1956

程無く、猛烈なブレーキの掛かる厄介な雪質となり、難しい滑降を強いられた。

本谷に合流するとデブリ地帯だが、ブレーキ雪よりも圧倒的に滑り易かった。

デブリ地帯を抜け、シールを張って鳥越峠へ向けてハイクアップ。
大山 振子沢 山スキー IMGP1960

こちらも僅かな時間に日射と気温上昇により雪質が悪化していた。
鳥越峠でシールを剥がしてドロップするも、先程同様猛烈なブレーキ雪で最悪・・・

ハイクアップ時の自分のトレースを忠実に拾えば何とか滑降できるが、忍耐の滑降を続けて下山。
大山 振子沢 山スキー IMGP1963

途中でツボ足トレースがラッセル泥棒した跡があった。ツボ足だと脛~膝ほどのラッセルのようだった。

帰宅し、ウェブで検索すると大山の遭難情報がアップされており、捜索隊の写真も掲載されていた。稜線で会った5~6人の登山者パーティは捜索隊だった。どうりで遭難事情に詳しいわけだ。