赤兎山 厳冬期登山

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赤兎山 厳冬期登山 山行記録

3年ほど前から一度は登っておかねばと考えていた、奥美濃の赤兎山に登ることにする。名前がメルヘンチックだ。隣の取立山はなんか催促されているような気がする。

無雪期は林道ドン着きまで車で上がり、そこから往復4時間程度の簡単な山のようだが、積雪期は林道が閉鎖されるので訪れる登山者も少ないようだ。

1月1日の元旦のテレビなどを見ているうちに出発の意欲が薄れ、予定を1時間ほどオーバーしてから重い腰を上げて車で出発する。

近所のスーパーなども締まっているので元日の出発はなかなか大変だ。250キロの道のりを4時間ほどかけて走り、小原の集落に到着する。眠いので適当なところに車を停め、即仮眠する。車の中なら集落でも雪中でもすぐに寝られて便利だ。

翌朝、早速寝過ごす。起きると7時で急いで準備をして出発。

今日のねぐらは赤兎の山頂の向こう側の避難小屋なので大変だ。

到達できなければ雪洞かツエルト泊となる。雪洞はまだ楽しいが雪の中で狭いツエルトで一晩過ごすのはなんとか避けたい。

しかし林道が出だしから非常に長い。くねくねとヘアピンカーブを連続させ、なかなかに高度も上がらない。ショートカットを目論むが雪の藪に突入し、余計に時間がかかる。山スキーのトレースがあるのであり難い。5時間ほどでようやっと夏の登山口に到着する。広場があり水も出ていて快適そうな場所だ。しかし今は一面の銀世界で野生動物以外には人間一匹しかいない。さあ、ここからネジを巻きなおしてギアを上げて登山道を進むが、傾斜がきつくなるとラッセルも深くなり、MSRのスノーシューもあまり言うことを聞かなくなる。小原峠まで夏道40分だが実際には90分かかった。このペースでは頂上17時前、避難小屋17時30分くらいか。うーん微妙だ。初めての山なのでルートロスは日没とセットでやってくる。出発の1時間遅れが痛いが今更どうしようもないので適当に歩いて半雪洞を掘ることに決定する。(積雪状況1m)

雪のツエルトビバークは中崎尾根以来だ。懐かしいなあと感慨に浸りつつ、京都の北山でも何度か雪穴で寝たことを思い出し、この標高ならそう悲惨な事態にもならんだろうと考える。V字の地形を探し、竪穴式の半雪洞を作って屋根にストックを2本梁に渡してツエルトのフライとツエルト本体で屋根と出入り口にする。夜中の降雪には弱いがそこまで考える余裕はなかった。スキー板か、その辺の木を切ってあと4,5本の梁を渡すともう少し降雪にも耐えうる頑丈な屋根にできただろう。

さて、今夜のホテルも完成し、急いで晩飯の支度をする。今夜のメニューは豚しゃぶ鍋。コッヘルが小さいので何度も作る。今回の山行きは血糖値を下げるのも目的の一つなので食事は至ってシンプルだ。鍋を食べ終わると酒をちびちびと舐めながら、もう後は何もすることがないので贅沢な時間をラジオを共に過ごす。そのうち、雪がしんしんと降ってきた。すぐに天井が下がりだす。やれやれやっつけ仕事の屋根なので朝まで持つか心配になるが今更作り直すのも大仕事なので一度外に出て雪かきをして、あとは天に任す。

最後に小用がしたくなったがもう更に外は寒いので中でして外にほかす。

さあ、寝よう。意外と快適だ。いつまで持つかなと思ったが、次に目を覚ますと3時だった。なかなか快適だ。降り積もった雪が雪洞の隙間を埋めて、さらに温い。こうなったら朝まで寝ようとするがそこからは目が冴えてあまり眠れなかった。

夜明けとともに行動開始。7時出発。もう引き返そうかとも考えたが昼からは天気も回復傾向であるし折角来たからにはもう少し頑張ろうということで9時まで突き進むことにする。真っ白な緩い尾根を方角を間違わぬよう登っていくと、やがて頂上に着いた。9時。スーノーシューのゴムの留め具がボロボロと切れだして、手持ちの細引き等で修理しながら難儀した。天気は曇り、無風、気温は高め。記念撮影をして、下山にかかる。またあの林道をうねうねと戻るのかと思うとぞっとするが仕方がない。

帰りは自分の付けたトレースもあるので結構サクサク戻れた。小原峠10時、林道終点駐車場11時。そこから約4時間で車に戻る。しかしその途中、ザックに装着していたはずの愛用のピッケルがないのに気が付く。往路でも一度外れかけたので注意していたがまさか下山で落とすとは!往復1時間かけて重い足を引きずって探しに戻るが発見できず。これ以上戻るともう帰りがさらにしんどくなるので断腸の思いでペツルのサミット君と永遠のお別れをする。Bタイプだが気に入っていたのになあ。。岳人の魂を抜かれたような気分。それにしても新調したミレーのクンブー65Lには参った。

使い勝手が悪いことが甚だしい。帰ったら更に大改造しよう。ピッケルホルダーは大げさなものが付いているがシャフトを固定する部分がゴム紐でブラブラと安定が悪い。よいザックはピッケルやバイルがピタッと収まるが。。まさか一般路で外れるとは。。この怒りはぶつけるところがないのでピッケルをザックにビレイしなかった自分が悪いと結論付けたいがビレイできるループがそもそもザック背面にない。遡及すれば店でこの品物を選んだワシがアホやったということで、やっと納得する。そうやワシはアホなんや!

がっくりしながら車に戻り、ゴムが切れて履けなくなったスノーシュー、空回りして固定の効かない3段式ストック、その他ボロボロの山道具を車に放り込み、温泉も割愛して年始の渋滞の中を家まで帰った。

冬の1650m付近で使い物になった防寒テムレス手袋だけが今回の収穫だった。今回は冬のサバイバル登山となったが、ビバークの決断は明るいうちに下すのが鉄則であること、半雪洞は数種類あるがどれもドか雪には弱いこと、雪上でツエルト幕営はさらに寒くて風にも雪にも弱いこと、雪山では実はツエルトよりも大きめのタープの方が有効なこと、などが再確認できてよかった。岳人の魂ピッケルはこの春誰の手に渡ったのだろうか。。。(完)